2010/03/09

徘徊終了

今日をもって1年間の徘徊は終了。
1日7時間×30日×4校を終えたことになる。ふぅ。

ほとんど干渉せずただ見守るという立場で、教室を後ろから観察するというのは、今まで経験したことのない不思議な感覚を私にもたらした。教育という営みや子どもの成長というものを軸にいろいろなことを思いめぐらした一年であった。

新人たちに対して、そうして得た情報を整理して提示し、自らの指導のあり方を丁寧に振り返らせる。一日の事実は教育をめぐる抽象論より大切だ。

教育というのは、「今日種を蒔けば今日のうちに花が咲いて明日実を結ぶ」というようなものではない。誰がどこでどうしたからこうなったというような即効性のあるものでも、そのことによって特定の誰かに手柄をもたらすものでもない。教育というのは、「子どもの成長といういのちの営みに寄り添うこと」以上ではない。しかし、寄り添う大人たちが、「どこで」「何をしたか」ということの蓄積が確実に子どもを変えていくことは間違いない。だからこそ、教育は尊い。

「○○式」とか「~メソッド」などと、個人のくだらない思いつきに子どもをはめ込んでしまうことに対して私は否定的だ。そんなものは教育と呼ぶに値しない。その発案者も追従者も、子ども一人ひとりをしっかり見てはいないからだ。簡単にいうとただの「横着」である。「子どもの尊厳」を嘗めきっている。「子どもの成長」という崇高ないのちの営みを侮っている。

だから、Salt式やSaltメソッドなどはない。そんなものをまとめたりもしない。もしそこに無理にでもことばを当てはめるとするなら、指導者ではなく一人ひとりの子どもの名前を入れるべきだと私は考えている。

「私が植えてアポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それでたいせつなのは植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」(Ⅰコリント3:6~7)

明日から終業式までは所属校勤務で残務整理をしながらスローダウン。事務や片付けは超苦手なのでちょっと憂鬱。それが終われば少し休める。

2 件のコメント:

  1. 一年お勤めお疲れさまでした。
    やはり人こそが大切ですね。
    のこりをこなされて少し休まれると良いですね。
    御苦労様でした。

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  2. ありがとうございます。

    「お勤めお疲れさまでした」と言われると、娑婆へ出て来た感じもイメージしてしまいましたが、正直今日の帰り際には、ホッとして肩から重荷が下りた気がしました。

    今日の担当校では、関わっていたクラスの子どもたちが寄せ書きをして、一番のやんちゃ坊主ふたりが代表として御礼を言って手渡してくれました。いつになくかしこまった様子がかわいかったです。

    3月の終わりはいつも完全リセットします。すべてゼロにして主に委ね直す。これを怠ると多分私は気が狂います。

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