2010/03/10

成長させてくださるのは神②

基本的に、私は子どもが元気で楽しそうに生きていればそれでいい。そうした「子どもの快適さ」を守るためにだけ時々登場するという役割だ。間違った手段で快適さを求めることをしないように、たまにチェックすりゃ十分。ちょっとだけその舞台裏を紹介しよう。

私は基本的に細かいことは嫁さんに任せるかたちをとっているが、丸投げしているわけではない。役割分担である。嫁さんのほうがその手の能力は私よりずっと高い。でも、ポイントはちゃんと押さえているつもりでいる。子どもたちが小さい頃は、「お父さんは頭にうつるテレビで自分たちのことを見ている」と大まじめに信じていたほどだ。種を明かせば、嫁さんから得た情報をあたかもその現場を見ていたかのように子どもたちに話して、褒めたり叱ったりしていたからだ。こういう夫婦の連携プレーが意外にモノを言う。

テストや成績には一切口を出さないが、受験に際しては足りない力を何とか補ってやろうと、必要に応じて家庭内で講義を行うこともある。4月から志望校に通っているという状況が子どもたちにとって落ちるより少しだけ快適だと思うからである。大学そのものや学歴という評価に価値を求めてはいない。教育オヤジのスタンスとは基本的に違うのだ。

昨年度は娘の高校受験前に英語を教えたが、今年度は長男・次男が大学と高校のW受験なので小論文対策の講座を続けている。もちろん目前の入試の科目にあるからこそやっているわけだが、それだけでは私が一定以上の力を注ぐ動機付けとしてあまりにも弱いので、中長期的には「暮らしを見つめる感性」を養い、「情報を取捨選択し整理する技能」を身につけ、「論理的な思考力」を磨くことにつながるのだと本人たちにも意識させているし、実際にそのような教え方をしている。

私の子どもたちは、この世にあって飛び抜けて優秀というわけではない。あえて断るほどのことでもないごく普通の子だ。しかし、私は彼らが今の世にあって、それぞれに宝石のような輝きを秘めているいるのを見出す。それは私にとっては大きな誇りであり喜びでもある。人がどう評価するかではなく、父親としてわが子をそう思えることが大事ではないだろうか。

思いっきり普通に育ってきた。当然、生まれ育った時代や地域や学校の影響はあるが、子どもはもっとたくさん家庭の空気を吸って生きているのだ。それに、何しろ「成長させるのは神」なのだから、そういう意識をもった親がおかしなコントロールをなるたけ避けて養育すれば、「それなりに育つ」のは当たり前なのだ。

実際3人の子どもたちはどう思っているだろう。「私が父親」という環境で存在し、DNAを受け継いでいるとういうだけでも、相当なリスクというかハンディキャップというか・・・・
出生を呪わずとも、うっとうしいと感じる時期があるのは当たり前だろう。いろんなことを乗り越えて自分らしさを見つけていくには、まだまだ時間がかかる。

両親は出来る最高のことは、神を信じることが「正しく」かつ「楽しい」ということを示すことだ。ろくでもないこの世界で人生を肯定する姿を見せることだ。

私は子どもを育てることによって育てられ、成長を見守ることで成長していると思う。成長させてくださるのは神なのだ。子育てを楽しもう。

私は常に神が私の思惑を越えた最善を備えてくださっていると信じている。私たちに信仰の備えがあれば、神の祝福の備えを味わえる。

ちなみに、未だ受験の思わしい結果が出ず、悶々と苦しい時期に書いている記事であることを追記したい。今年の桜はさぞ美しかろう。

3 件のコメント:

  1. エシュコル2010年3月10日 7:38

    ①と②がダブっている所がかなりありますね(苦笑)

    返信削除
  2. 私のしてきたことともかなりダブっているところありますね。耳が痛い
    最善で最高の方がいなけりゃどうなった事やら、ホーー

    返信削除
  3. エシュコルさん、ご指摘どうもです。気づかないまま放置するところでした。

    長くなりすぎたのでふたつに切ったのですが、コピペの際に糊しろがずれちゃったんですね。



    電気やさん、実は私も耳が痛い。

    自分の口に一番近いのは自分の両耳。特に音楽やってると耳もいいので、つらさ百倍です。私の発信は大部分が自戒です。子育てには信仰の甘さや人間性の弱さがモロに出ます。

    返信削除