2010/03/02

教訓もお面もいらない②

いつの頃からか小学校の卒業式では、優等生が送辞や答辞を読む代わりに「呼びかけ」という全員参加の形式に代わった。おそらく全国的にもこの傾向が強いと思う。それが、新しい学校の教育観が生んだ「優等生な結論」である。それはそれで悪くないが、大して良くもない。

私見ではあるが、内容的には、送辞・答辞よりも呼びかけに軍配があがる。しかし、それにかける労力を考えるとどっちもどっち。むしろ呼びかけに費やす時間に無駄を感じる。優等生に任せておけばよかったものを、誰かがその予定調和的なシナリオを書き、失敗しないように寒い体育館で何回も練習しなければならない。

某小学校で、まさに「呼びかけ」の核心部分である「お父さん、お母さん」という文言を「家族のみなさん」に変えようと提案があった。母子家庭や父子家庭への配慮だそうだ。なるほど立派に教訓めいてはいるが、鉄面皮なお面の笑顔である。

「家族のみなさん」などという不自然な日本語を、この呼びかけ以外に一生に一度でも使う日本人がいるだろうか?

当事者であるお父さんやお母さんがいない子どもにとっては、「かわいそう?」な自分に妙な気を使っておかしな日本語を使っていることの方がよほど不愉快だと思う。たとえそうでなくても、この種のおせっかいな配慮は、そうした背景を持つ子どもたちにとって教育的かというと私は断じて違うと思うのだ。

しかし、こういう提案を良いことであり、当然の配慮だと信じて疑わない感性の持ち主にとっては、私のような者は「やさしさ」や「思いやり」に欠ける無神経な人間に見えるのだろう。まあ、それもやむなしだが、無理に波風立てず黙っていることにしよう。

3 件のコメント:

  1. エシュコル2010年3月3日 10:35

    ウ~ン・・・・フェミニズムの影響か、それとももっと別の要因なのか。
    片手落ちという言葉も障碍者の立場だったら、と言う事で使わないようにしようなんてのがあったけど・・・。
    それも行き過ぎた親切、やさしさなんだろうか・・・。

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  2. エシュコル2010年3月3日 17:28

    感情の面で言うと、大人の男の手つなぎはどうかとは思うが、女同士の手つなぎなら・・・とは思いたくないね。
    女同士でも「私達はレズです」と表明しているならともかく、勿論介護の必要性があってとかではない普通の手つなぎは止めていただきたいものです。
    もし女同士の手つなぎを認めるならば、男の手つなぎも認めるべきだ、は飛躍的過ぎるだろうか?

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  3. どのような「ことば」も、それのことばがはめ込まれる「文脈」があります。

    手つなぎの話にしても「なぜ手をつないでいるのか」という理由やふたりの関係性が、行動の文脈になります。

    ちょうどこのあたりの話を7日のメッセージのテーマにします。

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