2010/03/17

Saltが考えるプロフェッショナルな教師①

日々成長し変化していく子どもたちを個々の性格や発達段階に応じて効果的な指導をするのは、それほど簡単なことではない。さらに今日学校現場でおこる様々な事象には、さらに複合的な社会の事情が織り込まれてくる。これらのひとつひとつを解きほぐし、問題に関わる様々な立場の人たちをひとつの落ち着き所へと導くのは至難の業であり、極めて高い専門性が要求される。

私は私自身が納得出来るレベルのprofessionalな教師でいたいと思うが、残念ながらそれは現場ではあまり必要とされない職能でもあり、そうしたこだわりや価値観は、周囲にとってはかなり迷惑なものなのだということも身に沁みてわかっている。

子どもの利益を最優先して、自分のこだわりを殺さなければならないことは、1日のうちに2度も3度もある。私はこれを妥協であり敗北であるというイメージで自己評価していたので、ずいぶん苦しい時期もあった。わけのわからないしがらみの中で思ったようにやれないことをシステムのせいにするのは恥ずべきこと、単に自分の力量不足なのだと思っていた。

しかし、子どもの現実をサポートするために最適の落としどころを見つけることは、妥協でも敗北でもなく、正しい手順なのだと思えるようになってきた。

私の力は小さく、私に出来ることはほんのわずかでしかない。子どもの現在は過去からも、そして未来へもつながっているのだと思うと、ほんのわずかな期間の今にしかかかわれない私が気負いすぎるのはよくない。かと言って、出来ることに手をこまねいてはいられない。どこまでやれるか、やるべきなのかは、常に一期一会の真剣勝負である。

中途半端な気持ちでは出来ないことを遊び半分でやっているSaltである。だから、半分の真剣さは半端じゃないのだ。

立場や考え方がまるで違う人たちと協調し、わけのわからん親たちと気持ちが重ならなければ、その子にとっての幸せは見えてこない。

どんな時でも目の前にいる子どもの利益を最優先できること。

それが何であり、どうすればいいのかを見極め、その為に素早く動ける教師はprofessionalだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿