2010/03/27

桜咲く日

私はあまり自分の弱みを吐露しないこともあって、鉄の心で何でも受け流して、何もかも上手くやっているように思われがちだが、それは事実ではないので、ちょっとだけ告白しよう。

たかだか学校の合否になんでこんなにヤキモキするのだろう。

学生時代にはテストにも入試にも全く無関心だった私が、子どものことを必死になって心配している。あるいは、「学歴」や「学力」という物差しをとことん嘲り続けた罰であろうか。

子育ての中では、「自分の中にこんな感情が眠っていたなんて・・・」と自分でも驚くような心の動きを経験する。私は自分に関する悩みや心配が殆どないので、家族のことで悩み心配させられているわけだ。

私は一人ひとりの子どもたちに対する神の最善のお取り扱いを信じている。しかし、こうした感情は、霊的な平安とは別の次元で絶えず動いている。実はこれはとても幸せなことだ。家族がいるからこそ、ドキドキワクワクできる。こうしたちょっとマイナスに思える感情が信仰によって消え失せるとしたら、何と味気ないことよ。だから、同じような悩みを抱えるみなさん。強がることはないのですよ。おおいに主の前にありのままの不安や不満をぶつければいい。

正直、子どもをどんな風に祝福してくださるのかわからないことには不安がある。そしてそれは本人にとって喜ばしくない受け入れがたい事実であることも少なくないということを経験的に知るようになると、よけいにあれこれと考えてしまう。すべてが明らかになるには時間がかかる。生きている間には誰にも意味がわからないことさえあると思う。

アブラハムが約束の子イサクを得るまでにどれだけ待っただろうか。周りの女たちにはどんどん子どもが生まれているというのに、約束をもらったはずの自分のところには、その成就がない。これは絶えず今を生きるしかない生身の人間にとってはキツイ試練である。

だからこそ、待たされることには意味があるのだろう。また、目の前の事実が望みや約束を打ち消しているかのように見える最中に主に対する信頼を告白することは、確かにすばらしい生贄であろう。この期間に誰が主であり、祝福の本質とは何であるのかを問われ続ける。そして、約束のものを得てもなお、その祝福をいつでも手放せる自由を持っていることが求められるのである。理屈は簡単。教訓は具体的な苦しみや痛みには何の力もない。

しかし、息子のことで悩んでいるのは私だけじゃない。妻もそして子どもたちもそれぞれの立場で苦しみをともにしている。この一体感を作っているものこそ合否よりも遥かに尊いものだと思っている。

妻を得たとき、私は実存として安定した気がした。平たく言えば、ずっと片方しかなかった靴が両足そろった感じがした。

そして、3人の子どもを得たとき、その靴があるのは、「約束の場所」を目指して家族そろって歩いていくからなんだとわかった。

子どもたちの成長は家族の成長である。すべての家族の源である天の父がすべてをご存じで、必ず良くしてくださる。

霙まじりの冷たい雨が降っている。曇り空の下の桜の木は二度と花など咲かないかのようにも見える。でも、そんなことはない。桜は己が咲く日をじっと待っている。

明日わが長男は今年度のラストチャンスに賭ける旅に出る。結果はどうあっても、私は主を賛美しよう。合格なら良し。不合格なら合格よりさらに良し。これが現在の私の信仰告白である。

いずれにせよ、今年の桜は今まで見た中で一番美しいものになるだろう。

息子の面接の為に英語の特訓を引き受けてくれたMomoちゃん、もし読んでたら、ホントにありがとう!

15 件のコメント:

  1. 祈っています。神の平安のうちに全力を出し切ることができますように。

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  2. ゆばるさん、ありがとうございます。

    あのタイミングで、ゆばるさんのファミリーが奈良に来てくださったことは、主の配剤としか思えません。

    息子も、主がいっさいをご存じであり、自分は覚えられているのだと実感出来たはずです。

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  3. 私はまだ自分の信仰に対してはっきりとした確信を持てないで居ます。
    けれども、どんなにがんばっても人間にできることには限界があることは個人的な経験を通して痛感させられました。
    今回、ほんの少しの時間でしたが、私もたくさん考えさせられることがありました。
    私の足りない言葉ではなんと表現して良いか分かりませんが、寄留者である私たちがこの世で生きていくというのはどうしてこんなにも難しいのだろうか、と悩むことは尽きません。

    きっと彼にも私にも、いつか最善の道が開かれて喜びに満たされるときがやってくるのだと信じたいと思います。


    試験については私たちの努力ではどうにもならないことが多々あると思います。合格を決めるのは私たちではなく大学の人間であり、そのすべてを手に握っている神なのでしょう。

    「合格すれば良し、そうでなければなお良し。」

    ある意味とても真実な言葉のように感じました。

    私にできることはわずかでしたが、できる限りのことはしました。
    桜が咲けば良し、もし翌日に咲いていなければ、まだ蕾。
    彼に秘められた可能性は無限大だと信じています。

    May God bless him!

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  4. momoちゃん、私にはかわいい姪や子どもたちがいて、ただそれだけで幸せですよ。

    今回は本当に助かりました。ご両親にもくれぐれもよろしくです。

    mayuの長篇漫画にも興味あります。

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  5. 桜咲く日
    この題に父の気持ちがみれます
    いつか実をつけてくれること、それには花を咲かすこと

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  6. 子どもをどんなふうに祝福してくださるのか…、本当にそうですね。

    その心に思いはかることをお守りください、その心をしっかりとあなたに向けさせてください。

    自分の家族を覚え祈ることばです。
    もう少しして美しい桜を見上げましょう。

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  7. 私は、Saltさんには、いつも自分と自分の家族のことで
    ばかり相談をしたり、励ましをいただいているものです。
    先日も貴重な時間をさいていただきありがとうございました。

    私たちもささやかでも、
    家族で、SaltさんとSaltさんのご家族の
    みなさまのことお祈りいたします。

    話は変わりますが、

    先日、妻が友人から「すごく感じのいい先生に相談をさせていただいた。」と喜んでおられる話を聞いて、その先生が硬派銀次郎さんだったという話を聞いて夫婦でとてもうれしかったです。

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  8. 銀じ郎さん、先日は娘さんの武勇伝を聞かせてもらっておもしろかったです。子育ての苦労はまだまだ続きますね。4月は花見に行きましょう。

    meekさん、ありがとうございます。銀じ郎さんは、昔から、私と違って第一印象がいいのです。問題はその印象が継続するかどうかですが・・・(冗談です!)

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  9. あははは、それはナイショ^^

    meekさん、お話の中でその方からmeekさんのお名前が出ました。そして、「奥さんにずっと相談し、いつも支えてもらっています。」と話されましたよ。地域でよい証をされていますね。
    今後、数回はお会いするはずです。直接福音を語るのではないですが、お話していく中で主の御手の業を求めます。そう導かれると、自分のヘン〇イ的なところを隠す努力をしなくてよく、無理なく仕事に臨めます。じゃないと、やってられません^^

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  10. 子供のことでは、親は心を砕くもの。うちも散々経験してきました(汗)。しかしここへきて、長女は孫を産み、次女も独り暮らしを始めると言い出し、長男は一応下宿生活で、いよいよ夫婦だけの暮らしとなりつつあります。新婚当初に戻ると言うか・・・。長男の就職がまだ残っていますが、子供のことで心を砕き、期待したり、失望したり、そのアップダウンが、実は幸いな人生の経験なのだと、最近しみじみと感じています。思えば遠くへ来たものです・・・。

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  11. 「Lukeさん=お爺ちゃん」というのは、どうもまだしっくりきませんが、お孫さんの存在は、子育てを終えたご褒美というか、勲章みたいなものですよね。

    おっしゃるとおり、このアップダウンの中で、しみじみと主の愛を味わっています。

    時々、子どもがずっと幼かったときのことを不意に思い出したりして、胸一杯になったりします。

    第2の新婚時代を楽しむには、まだもう少しアップダウンがありそうです。

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  12. 「おじいちゃん」とは呼ばせません。「グランパ」でいきます、絶対。

    ・・・というわけで、大学では女子学生の間でブレークして、アイドル的存在となっておりますが、このギャップがまた自分的にも楽しいのですね。

    3月は奈良にお邪魔したかったのですが、emiさんの「喪の作業」がけっこう長引いておりまして、あちこち動けませんでした。彼女の残してくれたものは、いなくなられてみて、改めて深く感じ入る次第です。

    「50までは生きたい」と言っており、昨年は「50になれました」とうれしそうに報告してくれたのですが、今年の桜を観ることはできまんせんでした。私も後何回桜を見ることができるか、ややカウントダウンモードに入っていることをひしひしと感じています。その分、地上の生活を楽しみたいですね。

    夏にはぜひよろしく。山之辺の道を制覇したいです。

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  13. 「おじいちゃん」も悪くないと思いますよ。

    emiさんのダメージは大きいです。そんなに簡単に割り切れるものではないです。

    Lukeさんが急きょ前倒しで前夜式にも参加してくださったことで、私自身が癒された気がしています。兄弟は悲しみを分け合うものだとしみじみ感じました。Lukeさんが私の分まで泣いてくれました。

    主がこのタイミングでemiさんを取り去られたことは、私たちが地上にあることの意味を問われているような気がします。

    主が与えてくださった様々な出逢いをさらに大切にしたいと思います。

    決して組織化してはいけないし、仲良しクラブでも駄目。一人ひとりが主に委ねられた分を知り、「主の前のひとり」として自立出来るようにすることが、花嫁が整えられることだと信じます。

    夏を楽しみしています。

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  14. そうですね、感謝です。自立した神の前の単独者が、何をどこまで共有できるか。もちろんその中心はキリストですが、自立と共有がエクレシアの鍵となるのでしょうね。悲しみの中でもそれを知ることができたことは感謝でした。兄弟たちがいなかったら私は耐えられませんでしたから。

    この意味で神が人間となられたこと。ラザロの死にあっても、また若者を亡くした母を見て泣かれた神・人イエスが、私たちとすべてを共有してくださること。受肉の奥義。この原点にとどまり続けたいと感じております。

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  15. ラザロの死に際して、よみがえりの力を持っておられる御方が、人の弱さの中で涙してくださったことに心打たれます。
    私たちが永遠をかけて共有する御方は無限大ですね。

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