2010/03/07

ユアサる

最近のUribossa氏からのメールの中に、友人のミュージシャンのライブ・フライヤーのオファーを受け、超お友達価格なのに通常の5倍ぐらいのパワーを注いで作ったという内容が書かれていた。経済苦の中でこの余裕というか心意気が凄い。また、Uribossa氏のコメントがいい。「ユアサってしまった。。。アホです。でも喜んでもらえたからよしとせねば」

私はUribossa氏の「ユアサってしまった」ということばに、Y.B.M氏への敬意と、己へのやや屈折した自嘲と自尊を感じ、痛く共感してしまったのである。(注:ユアサというのが、Y.B.M氏の本名)

そこでUribossa氏への返信メールの中で〔ユアサる〕を、「この世の殆どの人にはどうでもいいようなことが、絶対どうでもよくなく、人知れず必要以上に力を注ぎ、密かに満足を得ること。全く割りにあわない効率の悪さにも関わらず、なぜか連鎖反応が起こったりする」と定義した。

私はY.B.M氏の人や物への関わり方が好きだ。家具も写真も、全く興味がなかったわけではないが、Y.B.M氏と出逢ったことで、その世界の奥行きが見えてきた。

Y.B.M氏が木工家に転身するにあたって封印した写真への情熱のくすぶりを誰よりも強く感じ取り、煽る風を送ってきた者として、彼が自身の家具工房で開催する写真茶話会はすごく気になっていながら、なかなか参加する時間がとれなかった。前回は終了後に合流、今回(昨日)は少し遅刻して顔を出せた。

私の工房での連続講座で見せてくれた彼の指導法は、通常の写真講座のイメージとはかけ離れたもので、あえて技術にこだわらず、撮り手の情報の集積である「写真」という記号の本質に迫っていく。

「写真は逆証である」という仮説に基づいたY.B.M氏の写真の読解力は卓越したものがある。写真を媒介とした撮り手との対話の中で、撮り手自身が気づいていない無意識さえ言語化してあぶり出す。このような手法であの梅佳代や浅田政志という優れた才能を育ててきたのだなと納得した。

この世のほとんどの人がどうでもいいと思っているY.B.M氏のこだわりについて、野暮ったいことばで抽象化したくない。それは具体的なひとつひとつの作品としてしか表し得ないものだから。

この世のほとんどの人がどうでもいいと思っていることは、本当はとても大切なことなのだ。

http://www.norioyuasa.com/%e6%95%99%e5%ae%a4%e3%81%ae%e3%81%94%e6%a1%88%e5%86%85/(SiGNの写真茶話会案内ページ)

8 件のコメント:

  1. 昨日、午前の部に参加された初対面の方に「写真とか好きだったんですか?」と聞かれ、苦笑いしながら「いや、たいして(ほんとは全然)興味はありませんでした。」と運転しているY.B.M氏にちょっと申し訳なく思いながら答えました。にやっと笑ったY.B.M氏の横顔がちらりと見えました。写真は私にとって、今じゃ、欠かせない自己表出手段ですね。

    Salt氏に引き合わせていただいてから、とてもよい影響をもらいました。ユアサる、と言えるほどの仕事を私もちょっと楽しみたくなりました^^ 本当にどうでもいいとやり過ごされていることの中にとても大切なものがありますね。その大切なものを大切にしていると、こだわっているのだけど解放され結構自由になってきますね。

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  2. 私も昨日は収穫が大きかったです。

    なぜ私は写真と距離を置き、どこに違和感を感じてきたのがわかり、かなりスッキリしました。

    そのことによって、ちょっと割り切って「シャッターをきる勇気」を得たように思います。

    ちょっとしたネタ程度におふざけ半分で持っていたスナップでしたが、それでもほとんど無意識と言ってもいいほどの乱暴な選別の中にも働いていた自分の美意識というかこだわりを指摘され「はっ」としました。

    他の受講生の方のコメントも素晴らしかった。参考になりましたよ。ある意味、素晴らしい授業だと思います。

    銀じ郎氏の写真集も完成が楽しみです。そっちのブログにも書きましたが、もう何枚か撮って欲しいなあ。多少屈折はしてますが、まっすぐな表現だと思います。くすんでるけど、淀んでない感じがいいです。椅子の山と螺旋階段の写真、けっこう好きです。

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  3. Saltさん、こんばんは。
    はじめてコメントします。

    きのう調子に乗って、Y.B.M.さんの写真を読む術を「ねつ造」してるなどと悪口をたたきましたが、あれは僕の本心ではありません。
    本当は撮った本人にも気がつかない深層心理を読み取るあの洞察力にいつも敬服しています。
    Saltさんがおっしゃるように、まさに「写真を媒介とした撮り手との対話の中で、撮り手自身が気づいていない無意識さえ言語化してあぶり出す」というのが彼の力のようです。

    僕はついつい技術論(カメラ論?)に走ってしまいがちですが、Y.B.M.さんの茶話会に参加すると、写真は技術で撮るものではないということを感じさせられます。
    また参加者ひとり一人に応じた的確なコメントやアドバイスをしてくれる彼の感性の柔軟性にもいつも驚かされます。
    茶話会でものすごいエネルギーを出して、つぎの日(つまりきょう)は1日ぐったりしてしまう、と言ってたのがわかります。

    また次回もお会いできたら、よろしくお願いします。

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  4. ラッキーさん、昨日はありがとうございました。

    ラッキーさんの写真に対する謙虚で真摯な姿勢にも感じるものがありました。

    絵画から写真へ興味が移っていったお話も興味深く聴かせてもらいました。

    写真という表現の間口の広さと奧の深さに改めて大きな可能性を感じました。

    ラッキーさんのモノクロ作品、とてもカラフルでした。

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  5. 泣けるなあ.....色んな意味で。

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  7. 両者のブログも拝見させていただきました。
    実に濃い方々ですね。類友

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  8. 泣けますねえ・・・いろんな意味で。

    でも、けっこうニンマリ笑えます。

    いつか、とことんユアサった挙げ句に高笑いしたいものです。

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