すごく悲しいとき、とびきりしんどい時に、教訓はただムカツク。ヨブの友達みたいにいつも優等生みたいなことを言う奴はシバキたくなる。みことばに簡単にアーメン出来る人は、みことばが何を言っているか本当に理解できているのかと心配になる。きっと優等生だから大丈夫なんだろうが、少なくとも私はそんなにラクには信じられない。一つひとつみことばを受け入れるには、いつも烈しい葛藤がある。
丸ごと鵜呑みにしてしまった人(あえて「信じている」とは言わない)は、いつもかなり無理して柔和な表情を作っているが、私には妙なお面でもかぶっているようにしか見えない。表情が嘘っぽく目が笑っちゃいないのである。聖書を良く読めば、ちゃんと「目が大事」と書いてあるのだ。
私は時々「役割」として神のことばを取り次いでいるが、間違っても「善人」ではないし、ちっとも「立派」ではない。若い頃よりは幾分落ち着いてはきたものの、まだまだ「品性」に欠けているので、いろいろなことに「忍耐」しつつ、日常を何とかこなしている。
この日曜日にも分かち合いの中で「クルクル○―」ということばを使っていたそうで、帰りの車の中で妻に指摘された。納得のいなかない私は、「そんな連中(この世の学校へ通わせると汚れるので自分でホームスクールをやっているような人々)はクルクル○―でもまだ言い足りない」と反論したが、当然妻の言い分の方が正しいので渋々黙りこんだ。
「みことばは真実だなあ」と身に沁みないとわからないようなかなりの馬鹿者であるが、それだけにメッセージでは自分が身に沁みて味わってきたことを中心にお話することにしているので、教会と牧師館を往復して献金で食っている人の話よりはさすがに多少の説得力はあるのだそうだ。
今月も勇気ある兄弟たちが私に会いに来てくださる。とても楽しみだ。
みなさん、是非リアルSaltに親しく出会ってがっかりしよう!
「クルクル○ー」のくだりはとても良く理解できると自負しております。
返信削除「 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」
「私たち」とヤコブが書いてくれていることは、
私にとって非常にありがたい事です。
そうです。私は言葉で特に失敗するタイプです。
話す機会のあったあと、妻からの正当な指摘に(正当だからこそチクチクする)さえ腹を立て、言い訳し、「それならもう人前では話さないしかない!気をつけてはいる、でもこれがオレなのだ」などと駄々をこねる。
それでも懲りない厄介なタイプ、
自分と似ている人に人一倍親近感を持つと同時に、もの凄く自分と似た駄目な所を人に見つけるとそれに対して非常な嫌悪感も持つ。
それは、初めて自分の声をテープレコーダーで聞いたときの気持ち(違和感)と似ている。
教会活動に勤しみがんばるほどに、イエスと共にいるという単純な喜びは遠くなっていき、「何故、あの人は私のようにがんばらない」のだという、パリサイ人的な愚かな優越感が自分を支配してくる。
イエスを心にむかえた(というより、やってきた?)日と同じく、自分がいかに愚かで、力が無く、律法の一角さえも守れないものだと知ったあの日と自分は何も変わっちゃいないと気づくまでの模範的クリスチャン生活の長かったこと。
自分で突き進んだ道は行き止まりで、振り出しに戻ると共にいたはずのイエスが迎えてくれた不思議さ。
聖書にはこう書いてあります、はい、それは正しいです、ただ私はそれを守ることは出来ない。
でも、私に代わってイエスが全てをなしてくださる。
バプテスマのヨハネに遠く及ばない私が堂々と天に入れるのは、私が正しいのでも聖いわけでもなく、キリストが私を覆ってくださってその血潮が降り注がれたので、父は私を見るときに一人子イエスを見る
「あなたは私にとって高価で尊い」となる。
私たちは価値のない土で出来た器の中にキリストという宝を持つ。
私がソルトさんをもし今の目で見るときがあったとしても、その外側は見栄えのしない土器でしかない、(もちろん私も)ただ、壺が打たれ、傷つき、ヒビが入ったり割れたりするときに、内側にあるキリストの光が顕れる。
また、どんなに蓋をしても尚、イエスの香りは少しではあるが漂ってくる。
何かを入れるために壺はあるもの、空っぽなのは墓だけで十分
そしていつか壺は割られなくてはならない。
電気屋さんも実に面白い方ですね。いつか御逢いしたいものです。
返信削除知り合いに牧師をしていて、ホームスクールみたいなものをやっているのがいる。その事については私には分からないのだがまあ一般の牧師のイメージではないし、説明不足にならざるをえないので、もし少しでも興味が湧くのなら、紹介しても良いのだが、必要なさそうでもあるね。
ハハハ(^_^.)
返信削除Saltさんも電気屋さんも
善き伴侶が与えられている事
主の備えに 微笑ましく感謝です。
暖かいお言葉ありがとうございます。
返信削除当方、まるで隠れキリシタンのように山深く隠れておりましたが、ソルトさんやシュガーさんLUKEさんはじめ各方々が、発信されているのを、
見させていただいて取りあえず、人に迷惑かけないレベルで発信して行こうと今年重い腰を上げましてブログを今年から始めさせていただきました。
不快でなければ遊びに来てください。
毒も書かないようにしている結果薬にもならないものではありますが、よろしくお願いいたします。
以下URLです。
http://dennkiya.blogspot.com/
追記、ソルトさん勝手にURl乗せさせていただきましたが、ふさわしくないとき気に障られましたらば、消去なさってください。失礼します。
電気やさんへ
返信削除ブログ拝見しました。ちょくちょく行かせてもらいます。
長野から漂ってくるキリストの香りは、鶏の香りも混じってますが、程よくいい感じです。しばらく唐揚げや親子丼が喉を通りにくくなりそうです。
ますますそちらへリアルに遊びに行きたくなりました。
オネシモさんへ
おっしゃるとおり。良き伴侶を与えてくださった主に感謝です。「個人的な好みを追わなくてよかった」と書いたりしたら、また叱られそうです。
エシュコルさんへ
私はどんな立派な牧師にもホームスクールにも全く興味なしです。
それと、電気やさんみたいなメチャクチャ面白い人には本当に会いたいと思いますが、ブログで新たな知り合いや信仰のお友達を増やそうなんて少しも考えていません。
ご承知のように、私はリアルな現在の人間関係を維持するだけですでに限界を超えかけています。
Saltさん、申し訳ないです。
返信削除電気屋さんのブログへ行きましたが、
書き込みが上手くいきません。
が、楽しく読ませていただきました。
それにしても 色々な生活があるものですねぇ
学校の先生が教会で説教をしたり、
鶏の老後を看取ったり。
私は後数ヶ月で年金が貰える予定です。
投げやりな、だらしない生活でしたが貰えます。
駄目だと思っていたので、イエス様に感謝してます。
毎日が始まりで嬉しいです。
老後だったんですか? ひよこだと思いましたが。
返信削除nnでありnの1個ではなかったんですね。変な所に行きましたよ。
電気屋さんへ
返信削除書き込みが出来ませんので、こちらで失礼します。
私のブログにリンクを貼りたいのですが、宜しいでしょうか?
電気屋さんへ追伸
返信削除Saltさんか私まで連絡をいただけたら、嬉しいです。
電気屋さんに連絡出来ないものですから。
オネシモさんへ
返信削除アクセスありがとうございます。
年金楽しみですね。日本素晴らしいです。
毎日が始まり 私もそのように見習ってすごしたいです。
エシェルコさんへ
私のタイピングの習慣でnnになっていてすみません。
あのようなブログでもよろしければ、どうぞご自由に貼ってください。
エシュルコさんのご指摘通りリビングで息を引き取ったのはひよこです。(オネシモさんも同じ理解だと思いますが)
その後、その恩恵で兄弟姉妹は長寿を全うしました。
アクセスありがとうございます。
Saltさんへ
もうしわけありませんが
連絡する方法を教えて下さいませんでしょうか?
本人、無神経で楽天的なタイプですので、ここに私のメールアドレス入れても良いのですが、もっと良い方法があれば教えて下さい。どうぞよろしくお願いします。
追記、
慎重なタイプの家内がSaltさんのメッセージのコメントに非公開の方法おしえてくれましたので取りあえずそちらに私の情報送ってみます。では
電気屋さんへ
返信削除リンク許可有り難う御座います。