2011/05/21

写真のない写真集

去年撮りためた写真とじっくり向き合うこととなり、嫌でもいろいろと考えた。デジタルカメラの便利さと不便さを深く心に刻む1日となった。

人は何を「記録」し、何を残したいのか、また、それを時々振り返ったり、共有したりしようとするのか。恣意的な「記録」は、変質した「記憶」に変換される。

カメラには、そんなセコイ装置としての一面がある。

ファインダーによって切り取られた時空は、ある意味で死んでいる。3次元から2次元へと次元を落としてまで撮り手の意思を反映させるためだ。それゆえ、写真は決して「真を写したもの」ではない。

つまり、その時空の切り方や変換の妙が問われる。写真の情報として、被写体に関する事実とともに撮り手の精神が読み取れるようなものこそ、写真としての独立した価値を持つものであろう。

素人がコンデジで撮った日常の写真ではあるが、私がそのとき何を見出し何を感じたかが、ある程度正確に写っている。

私にはまだ写真として独立した価値を持つものは撮れない。ただ、私の記憶を再生するきっかけとしては、極めて有用であると言える。

Y.B.Mさん、以上が私が昨日考えたことの約半分です。

6 件のコメント:

  1. コメントができないのはなぜでしょう。消えてしまいました。

    僕はSaltさんの写真集はいいと思っています。
    あと半分の話、楽しみにしています。

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  2. 私も見たいです。

    数枚見せて頂いたときは、とても興味深かったです。
    見て、私も何か感じたいです。

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  3. 信州の知人は「写心」と表現してます。
    ボクのは…ただの「記録されたデーター」ですね…(汗笑)

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  4. Y.B.Mさん、ありがとうございます。

    どうやら、コメント欄が怪しい人をいチェックしているようです。

    「今年は少しレベルアップしたい」なんて思ったりすると、とたんに撮れなくなりますね。

    写真や表現の話は尽きないのですが、能書きよりも何かを残し続けることが大事だと思っています。

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  5. 銀じ郎さん、どうもです。

    銀じ郎さんの2冊の写真集が、「そんなら私も・・・」という気にさせてくれました。

    いずれ見ていただきますので、感想を聞かせてください。

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  6. tsucchan158さん、書き込み嬉しいです。

    Y.B.Mさんの写真熱を再燃させた手前、「私も責任とって、ちょっとやってみようかな」という感じなんですが・・・

    まあ、写真の奥が深いというか、私の底が浅いというか、ちょっぴり行き詰まっている今日この頃です。

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