2011/05/20

神の仕業


与謝野馨経済財政担当相は、20日の閣議後会見で、東京電力の福島原発事故について、「神様の仕業としか説明できない」と述べた。同原発の津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調した。

与謝野さんは、先月、自己評価が最悪のレベル7になった際にも「原発は電力供給の為に必要」と断言し、事故の評価にかかわらず今後も原子力発電を推進していくと語っている。自民党政権時代に通産相として原発を推進してきた責任を問われても、「謝罪する気はない」と言ってのけた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000050-jij-pol




カルフォルニア州で福音派ラジオ局「ファミリー・ラジオ」を運営するハロルド・キャンピングという爺さんによると、明日5月21日、キリストの再臨があるそうだ。

米東部標準時間で午後6時から、世界の各地で今まで見られなかったほどの大地震が起こり、キリストは再臨し、聖徒の霊は墓場から蘇える。

世界で約3%の真のキリスト教徒のみが、キリストとともに天に昇るというラプチャー(携挙)が起こる。取り残された者は、10月21日の地球滅亡まで地上で苦しむということになっている。

全米に1200の広告板「聖書が保証する」を立ててきた。中には、妻子をおいてツワーに参加した人や、退職金をはたいて広告用ポスターを作った人もいるそうな。ニューヨーク・デイリー・ニュースによると、ロバート・フィッツパトリックさんもその一人である。フィッツパトリックさんは、退職金から14万ドル(約1440万円)をはたき、「大地震!審判の日:5月21日」というポスターを作り、ニューヨーク市内の地下鉄やバス停に掲示しているのだとか・・・

どうでもいいけど、彼らのこれから先のことを心配してあげたい。

http://www.newsmag-jp.com/archives/8269

いずれも神様の仕業だろうか?

神の「存在」についても「救済」についても、人は何でも好き勝手に語ることが出来る。間違ったことを言っても、急に天からの罰がくだるわけではない。

与謝野さんは決して「学校の成績的」には頭の悪い人ではない。しかし、言っていることは馬鹿としか思えない。

ハロルドが手に持っている聖書には私の聖書とちがうことが特別なことが書かれているわけでもない。しかし、普通に読み間違っている。

人は同じ現象を見ても同じように感じるわけではないし、同じ聖書を読んでもその反応は同じではない。

私は与謝野さんとは違う意味で津波も事故も神の仕業だと思う。また、ハロルドよりも切にキリストの再臨を待ち望んでいる。

人は自分が見たいようにものを見、信じたいように信じるだけだ。私も自分の見立てと信仰を裁かれるだけのこと。与謝野さん、ハロルドさん、覚悟はよろしいかな?

5 件のコメント:

  1. ワッフル旦那さんのコメントです。

    全ての事が神の前に隠されておらず、
    神の許しの元に(人には、理解しがたい程の許しのもとでありますが)全ての事象が起こるわけで”神の仕業”といえます。
    最終的には、全ての天災、人災を問わず完全なる責任と補償を神は逃げる事も隠れる事もなさらず
    キリストにおいて過分に支払われる(すでに払ってある。)のではないかと、だからこそ、正しい事をして不当な罰を受ける事こそ、主の僕として相応しい。

    神が人に与えて下さった「自由」の裁量の広さは、計り知れません。
    あの実を取って食べる自由、地下の深くから危険な火を掘り出す自由、
    しかし、なんであれ、人はその刈取りを人はすることになります。

    おしゃべりをした後、「あー、あんなこと言わなければ良かった。」と後悔することも多い私ですが、
    一度私の口からその言葉が出てしまったら、どんなに、空しい言葉でも戻すことが出来ない。。
    それに比べて(比べると言う言い方がそもそもですが、、)
    神の言葉は一度その口から出たら、空しく帰ってこない。
    まさに、「神のことば」である、キリストは素晴らしいです。

    実は震災前と今とでは、何ーんにも変わっちゃいない。
    たまたま、多くの人に隠されてあったようになっていたことが少しだけ表せれただけの事。
    キリスト者も、主を褒め称える事で、以前も今も何も変わっていない。
    それは、変わる事のないお方に仕える私たちの務めとも言えますね。

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  2. ワッフル旦那さん、コメントありがとうございます。

    確かに震災があって、何かが大きく変わったわけではなく、よりいろんなことがわかりやすくなっただけのことですね。

    これでも懲りずに、神を侮ったり、身勝手な救済を吹聴したりでは、どうしようもないです。

    みなさん、都合良く神を持ち出してくれますが、私はみだりに主の名を唱えるのはひかえようと思います。

    今日は半日、昨年度撮りためた写真と格闘していたのですが、デジタルはやはり便利なようで不便ですね。

    より確かでみずみずしい記憶が、映像や写真にまさるということがわかりました。

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  3. ちなみに昨日は何事もありませんでしたね。

    ハロルド爺さんと惚け老人の戯言を吹聴した方々、お気の毒です。

    さて、どういう落とし前をつけられるのでしょうか?

    キリストの支払いがいかに過分のものであろうと、偽預言に関する支払いはありません。

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  4. >落とし前
    昨日久し振りにある兄が参加してくれました。その兄曰(いわ)く、既に言い訳(?)は考えてある、との事。もしそうなら、売名行為が目的なのかな? 
    私(達)も言動に注意したいものです。

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  5. まあ、どうでもいいですけどね。
    人に言い訳はけっこうですが、神にどう申し開きをなさるのか?

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