「・・・であります」という軍隊用語は、指示伝達のニュアンスを単純化して誤解を無くすため、「・・・でありんす」という遊郭用語は、訛りが出ないようにして出身地を隠すために用いられた。
ともに不自然なことばの破壊である。これではことばに「こころ」や「いのち」はこもらない。
ペテロは「そんな人は知らない」と言って嘘をついて主であるイエスを拒んだとき、ことばの訛りでその正体がばれてしまう。
ペテロのことばにはガリラヤ訛りがあった。これは実に興味深い事実である。「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばの訛りではっきりわかる」(マタイ26:73)と書かれている。
これは、イエスもガリラヤのイントネーションで日常会話をされた確かな証拠である。「いのちのことば」である御方の日常会話は訛っていたのだ。
よく覚えておこう。日常の暮らしの感覚と結びついたことばは、それほどに大切なのだ。
なぜ、教会用語が宙に浮くのか。全く暮らしの血肉になっておらず、実質がほとんど共有されていないからだ。だから、気色悪いのだ。
世界中のドイツもコイツも、「アーメン」などと言うからいけん。山陰のキリスト者は「そげですね」と言おうではないか。【参考NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」】
こうして考えてみれば、「アーメン、素麺、冷や素麺」と揶揄されるのも、非常に納得できる話である。
あえて
返信削除「アーメン」↑
朝ドラ「ゲゲゲの女房」視聴率も右肩上がりみたいですね。今から見てもなんなので、総集編で見る予定です。(カットされる何気ない所に興味深い事もおおいのですが、、)
昨日、ご夫妻がテレビに出てましたが、
奥さんの自然な感じが良かったですね。
氏の「やりたいことしか、やらない」という一般的でいう偏屈性も、好きですね。
日常の暮らしと感覚に結びついたことば
返信削除全くです。心理学用語や特別支援用語に辟易するのは「こころ」も「いのち」もこもらない用い方のときです。
心理学用語や特別支援用語の全てを否定しているのではないですが、うわすべりは悲しいし、情けない…。
今週もたくさん喋った自分を振り返り反省。今日明日はジムで汗を流して空っぽになってリフレッシュします。
電気屋さん、「あえてアーメン」いいですね。
返信削除別にアーメンが駄目だと言ってるわけじゃないことをわかっていただいてありがとうございます。
妻はヒロインを自分に重ねて、しげるを私に重ねて見ているようです。彼女がヒロインに似ているかどうかは別として、しげるの偏屈ぶりと思いやりのなさそうに見える態度は私に重なるそうです。
「そげですね・・・」というヒロインが示す共感の姿勢は、苦労や喜びを分かち合うキーワードだという気がします。
学校用語は全般にこころがこもらない傾向がありますね。
返信削除会話は高い壁を隔てたキャッチボールになり、コミュニケーションも宇宙服を着た握手のようになってしまいます。
これではいけません。
子どもの心に届くことばがどうしても必要です。それは都合の良い辞書には載っていません。ひとりひとりの子どもと一緒に汗をかきながらしか見つからないのです。
私も効き目のある便利なことばはないものかといろいろ探ってみるのですが、そんなものはないですね。
何気ないひとことが、子どもの心の中にストンとおちて、その後の様子が変わることがあります。そういうときは、ちょっと嬉しいです、
「妻はヒロインを自分に重ねて、しげるを私に重ねて見ているようです。」
返信削除「ゲゲゲの女房」主人が言うように一度も見たことが無いのですが、昨日ちょうどテレビをつけたら「ぴったんこカン・カン」で夫婦ででていらして、たった5分ほどしか見れなかったけど奥様がにこにこして水木しげるさんの「やりたいことしか、やらない」について行かれたことがわかりましたし、苦労や喜びを分かち合うってこられたことも奥様の表情や言葉から感じました。
Saltさんの奥様は、旦那さんの好きなことやりたいことには口をはさまないタイプに感じています。家族を裏方でささえている感じかなぁ~
上手く言えないけど・・・すみません。
なのでヒロインに似ているところがあるのだろうと思います。素敵な奥様ですよね(^^)
Misからのコメントでした。
んだんだ。キリスト教用語にも実は、本当に分がって使っているのがな、というのがいくつがあんだよな。
返信削除もっともこっぢの理解が無いのがもしれんが・・・。
それにしでも、Saltさんや電気屋さんの言葉は分がりやすいものの・・・(以下、略)。
電気屋さん、御夫妻での書き込みありがとうございます。
返信削除確かにSaltは妻の支えで浮かんでいる感じです。子どもたちの存在も大きいですね。彼らにとって格好悪い父親にはなりたくはないという思いもあります。
NHKの連続朝ドラは、何かに挑戦する女性ばかりを描いて来たようですが、今回のふみえさんは、夫を支え家族を支えるタイプの女性です。こういうヒロインは過去にもあまり例がないようです。
エシュコルさん、どうもです。
返信削除「分かって使う」というよりは、いのちのことばの共有感覚の問題です。これは、双方に同じようになければ共有とは言わず、「すれ違い」か「勘違い」です。
「自分は分かって使っている」という思い込みが神学論争を生むわけです。