2010/07/11

SIGNの写真茶話会



同じ時代、同じ空間を生きていても、ある人は注目し、ある人は見過ごすものがある。

それ故、私が撮った写真には私が選んだ情報が何かしら詰まっているはずだ。私が過ごした時間が多少は刻まれるはずだ。

カメラという道具を持ち込むことで、私を取り巻く世界に対して向けられる「自分自身のまなざし」に対して意識的になれるのが面白い。

参加者の作品を見ていると、それは何を撮っていようと一種のポートレートに見える。

6 件のコメント:

  1. 「自分でしか見えないも、感じ得ないもの、それが柱。」
    と言われたY.B.M氏に…本当にいろいろ考えさせられ刺激を受けます。

    自分がやっていることが、「これでは、ダメ」と分かりながら、もっと自由で面白くなる、と思えるから、楽しいです。

    同じ学校という場にいて、Salt氏の撮ったものをみるのも楽しいです。また、茶話会でもお会いしましょう。

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  2. この写真はちょっとした洒落ですが、私が撮ったものは、意外に「健やかなもの」が多かったでしょう。

    子どもの写真はネットには載せられないので・・・・

    小学生に接するには、まず「明るく」そして「楽しく」さらに「理屈っぽくない」のがいいのです。

    銀じ郎氏の今後の作品も楽しみにしています。

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  3. Saltさんの写真は本当に良かったです。
    明るく楽しく、そしてライブ感がありました。ほんとに驚きました。
    小学生たちと笑っているSaltさんを感じましたよ。
    Saltさんという先生を知るのに、あの写真を見るのが一番よく分かる気がします。
    こちらでいろいろ教育に関して述べておられることが、実際子どもたちと接する時には理屈っぽくなく、もっと簡単なことなんだと、知るべき人は(先生は)多いと思います。

    全然タイプの違うお二人のせめぎ合いも、見ていて楽しいです。

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  4. たとえゴミであっても
    人の形をしているものは、インパクトありすぎですね。

    ユダヤ人は、もし捨てる事になった時の事を考えてわざわざ文章の中で神の4文字を書かず
    主という言葉を使いさらにそれさえも聖書以外では
    「Lo>d」などあえてその字を崩して使っていた。

    人こそ神に似せられて作られた被造物ですから
    ユダヤほど敏感でもどうかと思いますが、鈍感な心はさらに問題かもしれない。
    Saltさんも何かを感じて撮られたわけで、これを見る私たちの「ぎょっ」っとする気持ちの中に感じることを見つめさせていただきますか、、。

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  5. Y.B.Mさん、先日はありがとうございました。

    私も自分の撮影した写真を見ながら、改めて自分の日常を相対化することが出来て、自分でも妙におかしかったです。

    私はいつでもほぼ「素」の状態ですが、私のいろんな断片だけを見ていると、つかみどころがないでしょうね。

    音楽だけ聴いている人、メッセージだけ聴いている人、文章だけ読んでいる人、絵だけ観た人、詩を読んだ人・・・子どもと向き合う私しか知らない人・・・

    それぞれにいろんなイメージを持たれていると思いますが、当の本人はあんまり気にはしていません。

    多面体のそれぞれの平面はねじれているように見えるので、さぞ変な奴に思えるでしょうね。

    相当付き合いがある人でも、「学校の私」はあんまり想像がつかないかも知れません。

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  6. 電気屋さん。ほんと不思議ですね。

    本物の人間の肉を肉屋にまぜて置いておいてもあんまりショックはないでしょうけど、たとえ人形でも、「かたち」に反応してしまうのです。

    これは、やらせ写真ではなく、4年生の子どもたちを引率してクリーンセンターへ行ったときに見たゴミ捨て場の一部です。

    捨てられた首が空を見ているのが何だかいいな・・・と思いました。

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