写真というのは、写す対象が何であろうと、それは一種の自画像である。
「写真に神話などない。情報が写っているだけ・・・・」とY.B.M氏は言った。
それは、私を取り巻く外部の情報であり、私自身の内部の情報でもある。そんな風に私は受け止める。
誰でも、シャッターを押すだけで写真は撮れる。そんなものにたいした優劣も、繊細な表現もないと思っていた。しかし、テキトーにシャッターをきったものであっても、私が撮ったものはどう考えても、「私が写したかったもの」である。それは、「私が残したかった時間」や「私が心動かされたもの」だ。
茶話会に参加された一人ひとりの作品を見ていると、そこには彼らの映像はなくても彼ら自身が写っているのを感じる。
写真は面白い。カメラが鉛筆や紙みたいになってくると楽しい。
もし、ワールドカップに日本が出ていなかったら、ずいぶん味気ないものだっただろう。日本が出場しているから、その他の試合さえ熱くなって観る。「子どもがいる」というのは、そういうことかも知れない。親は子どものサポーター。子どもがいるから、人生にも熱くなれる。
大きくなっても、子どもは子ども。そして、私もかつては子ども。そして、今は神さまの子ども。約束の場所で、私が見せてもらえるスライドショーはどんなものだろう。そんなことを思いつつ、シャッターをきる。
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