2011/04/30

5月のメッセージについて



今日で4月も終わり。忙しさに追われて心を亡くしているわけではないけれど、既に1年の3分の1が終わってしまったのかと思うと、ちょっと驚いてしまう。

5月のカナン教会におけるメッセージ予定は以下のとおり。

8日 エペソ人への手紙第5章
29日 ひねくれ者のための聖書講座 27

キリスト教という設定の中には、上の写真の子どもたちのような「自然さ」が失われるのはなぜだろう?
それは、どこかに「嘘」があり、「無理」をしているからだと思う。
それが「本物」なら、初めて出逢っても楽しむことや味わうことができるはず。
真理はいつも子どもやお年寄りのそばにだってある。
私はキリスト教徒ではない。宗教の話ではなく、神の子どもとしての特権と永遠のいのちについて、聖書に書いてあるとおりに「ありのまま」を話したいだけだ。
5月の青空みたいに、キッパリとした心でいたい。

2 件のコメント:

  1. メッセージの労、いつも、ありがとうございます。
    kojiさんのおかげで、ますます感謝です。

    所詮、この世の中のものは、部分でしか完全さをあらわすことはできないのではないでしょうか?

    完全さ・正しさは、個人に示されることよりも、組織に示されることの方が、断然むずかしいようには思います。

    最近、まず私はどうなんだろう?と思うことを大事にしなくては、と示されています。

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  2. 教会(エクレシア)は本来、新創造による有機体ですから、人造のものとは、根本的に異質なものだと思います。

    それは木目の壁紙のように薄っぺらで、発砲スチロールのように軽い、見せかけだけの代物です。

    私が感じているのは、部分が集まって全体になるというイメージとはちょっと違います。

    エペソ書の中でも、パウロもことさら「ひとつ」を強調しています。

    後付けの私たちの正しさなんて、それほど重要なものだろうかと思ったりしているわけです。

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