2010/09/12

夜回り先生



夜回り先生こと、水谷修氏の講演を聴いた。

自身も悪性リンパ腫と闘いながら、今も金・土は夜11時から明け方まで夜回りを続けている言うから驚きだ。

今日もからだの左半分が痺れていたそうだが、2時間弱の講演を力強く全うされた。やはり、この人ハンパじゃない。

「子どもに罪はない。大人が全部悪い」という彼のベーシックな論点には批判もあり、私もいささか意見はあるのだが、今日ばかりは言うまい。書くまい。彼と夜の世界に生きる子どもたちが紡いできた圧倒的な事実は、誰も簡単に批判出来るものではない。

「私をちやほやする暇があったら、それぞれ自分の場所でやるべきこと、気がついたことをやれ!」と言うのが、彼のメッセージの核心である。これには大いに共感できる。私は昼の世界の子どもたちの幸せのために自分のやるべきことを淡々と続けるだけ・・・・ そう思った。

水谷氏を突き動かす原動力は、回復して生きる力を取り戻す子どもたちの笑顔と、それ以上に大きなものは、救いきれず失った子どもたちのいのちの償いの想いである。

水谷氏は「その子たちは私が殺したのだ」と言う。これは方便ではない。本気のことばだと私は受け取った。キリスト教風の臭い表現を使うなら、水谷氏はそれを自分の十字架として背負いつつ、今日も夜回りや講演を続けておられるというわけだ。

まるで再現ドラマを見せられるように、リアルに子どもとのやりとりを語る水谷氏。事実だけに圧倒的に力があり、彼の無念の思いも伝わってくる。会場のあちこちからすすり泣きが聞こえる。

ここで、「感動した」「いい話だった」で終わるわけにはいかない。

翻って、私たちが殺した御方はイエスである。クリスチャンはこの御方の十字架を背負いつつ語るのだ。いかに水谷氏が人間ばなれして立派だろうが、福音のメッセージが彼の講演よりもショボイようでは話にならんと思った。これが最も強く心に刻んで自戒したことである。





16 件のコメント:

  1. 私は地域補導なんてことをさせてもらってますが、悲しいかな自分の子育てにはなかなか役に立たないですね。信仰とは別のところにあるのかもです。
    今、季節が変わったようです。風が心地よいです。

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  2. ネズミさん、お久しぶりです。

    地域補導ですか。ご苦労さまです。夜回りにしても、気の遠くなるような地味な仕事ですよね。

    相変わらずお昼は暑いですが、朝夕はずいぶん過ごしやすくなった気がします。

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  3. そうですか。テレビだとどうも?で…。

    チャンスがあれば、生でお話を聴いてみます。

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  4. 今度自民党から出馬するらしい。。。。
    夜回り先生の奥さんはクリスチャンだそうだが、ホームレスに関わっている奥田牧師=実は知っている=も、今自分が何をするべきかが分かって行動している事がスゴイし、なれるもならそんな生き様をしてみたいものである。

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  5. 銀じ郎さん


    なるほど?の部分については、また聞かせてください。
    音楽もビールも生が一番かな。
    ところで、次回リコーダー講座ですが、2日の強行は避けて9日に変更しました。ご検討よろしく。

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  6. エシュコルさん


    薬物問題に関心を示した公明党議員を応援されていた事実は確認しています。

    自民党から出馬は本当ですか?

    奥さんがクリスチャン?これ、情報源は?

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  7. どちらもソースは忘れました。
    奥さんは信憑性が高いと思いますよ。ただし教団(日本基督教団)かも?

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  8. どうも、私の読んだ彼の本には
    カトリックではありますが、クリスチャンとあったと思います。
    水谷修さんは、カトリックのクリスチャン、若い頃は、「神父になるか教師になるか」で悩まれた方だと、ネットでは奥様はかなり熱心で娘さんもその影響はかなりという感じだと。
    まあ、以前読んだときは、ふーんと言う程度でありましたが、今回のSalt さんのブログで家内の記憶から出てきました。

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  9. 彼の思想的背景には大いに興味ありますね。また、何かわかったら教えてください。

    いったい何に突き動かされてこういうことが出来るのか私にはよくわからないのです。

    少しは「立派だな」と思っても、私は夜の街の若者に声をかけようとは思いませんから。

    教師にも牧師にも絶対なりたくなかったのに、そんな真似事をやっている私なんぞは、「神父になるか教師になるか」で悩んだ彼とはおそらく対極の人種なのでしょう。

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  10. 勝手な想像でモノを言うのはどうかと思いますが、子供に対する思いがどの程度あるかにもよるのではあるまいか、と勝手に想像しています。
    楽器に対する思いと同じ位の使命感、思いなどが、子供にあるか、では?

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  11. 私は不特定多数の人類とか、どこにでもいる子どもに対する愛情って全くピンと来ないのですよ。

    私はパーソナルな出逢いや関係性がなければ、ほとんど一般的な感情しか持てないです。

    その程度の人間ですから、街のチンピラに声をかけて話を聞いてやろうなどとは少しも思わないのです。

    愛すべき関係性にあれば、愛すように努めますが、無制限に範囲を広げることは、私には不可能です。

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  12. 参考になるかどうか・・・森本春子先生とか奥田知志牧師とかマザーテレサとかの考えが分かれば、良いのかもしれませんね。

    そしてその、『水谷氏を突き動かす原動力は、回復して生きる力を取り戻す子どもたちの笑顔と、それ以上に大きなものは、救いきれず失った子どもたちのいのちの償いの想いである。水谷氏は「その子たちは私が殺したのだ」と言う。これは方便ではない。』
    これが不足しているのかも、とも思います。実はこれ、誤解していただきたくないのですが、Saltさんに言っているのではなく、自分自身に言っているのです。

    もちろん、Saltさんは、だからと云って気張る方ではないでしょう。塩加減が上手な方だと思いますから。

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  13. やってる事と矛盾しますが、私もSaltさんの考えと同じです。

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  14. エシュコルさん

    そうですね。私は無理はしません。

    それに、水谷さんとは違って「子どもは悪くない」とは、全然思っていません。

    「大人はもっと悪い」と思うだけです。

    仮に教え子が自殺しても、私は「自分が殺した」なんて言いませんし、そう言わないことが責任回避だとも思いません。

    自殺する奴はそいつが死んだだけのことです。弁護なんてしようがない。こんなに「生きるためのプログラム」がされているのに、それでも死にたい奴は死ぬしかないんです。

    私は自分の後始末さえちゃんと出来ないから十字架を信じているわけで、そんな私にいい人のふりなんて出来るわけないのです。

    無論、主が私を使って何かをなさるなら、私はそれをするかもしれませんし、その行為がとても立派に見えたりするかも知れませんが、たぶんそれは「夜回り」ではないです。

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  15. ネズミさん コメントありがとうございます。

    風の心地よさを感じながら、多くの矛盾を抱えながら、自分に出来ることを淡々と続けていくしかないですね。

    子どもや地域の為に貢献することは、良い悪い以上に、秋の風のように、それ自体が気持ちのいいことだと思います。

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  16. エシュコルさんへ

    少し書き足りませんでした。

    どんな背景があろうと、すばらしい行為はそれ自体、決して否定は出来ないと思っています。

    どうしてそうなるのかに興味があるだけで、自分がそれを真似るとか、目指すとかというのは、別の意味だということです。

    そして、私の信仰では、間違ってもそういう生き方には発展しないということが言いたかっただけです。

    私の方が正しいなんて少しも思っていませんし、私はそもそも正しい人なんて目指してさえいないのです。

    念のため、くどいほど付け足してしまいました。

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