今週のメッセージで「ことば」そのものが実体に対する条件づけであること、さらに、その「ことば」に個別の体験やイメージがさらに条件づけられて、さまざまな歪みやすれ違いを生むことについて語った。
こうしたバベル以来の「ことば」の混乱は、「いのちのことば」であるイエスの実体を共有する以外にないのである。
さて、来春開校予定の山形県東根市立「さくらんぼ小学校」が校名を変更すると発表した。と言うのは、ほぼ同名のアダルトサイト(サークル私立さくらんぼ小学校)が存在しているからだ。土田正剛市長は記者会見で「児童の登下校時に不審者が現れる可能性がある」と述べたらしいが、今後の展開も興味深い。
「さくらんぼ」という地元の特産品に込めた願いやイメージがとっても微妙に食い違ってしまったわけだ。
「ことば」は難しい。そして、一度「ケチ」のついた「ことば」はどうしょうもないほど堕ちてしまうものなのだ。
もちろん、世間のジョーシキでは、「市立のさくらんぼ」が健全で、「私立のさくらんぼ」が不健全なんだろうが、大人の反応をしているのは、さすがアダルト側の私立の方、問題のサイトを開いてみると、丁寧な挨拶の中に「今後の対応といたしまして、先方様の学校のご意志が変わらぬようでございましたら、児童の安全を配慮し、サークル名の変更を視野に入れることも考慮しております。(子供や保護者の方々を不安にしてまで、名称を貫こうとは思っておりません)」と書いてあった。
意外にこの「さくらんぼ」問題は、奧が深いのだ。
興味深いお話しをありがとうございます。
返信削除「一度「ケチ」のついた「ことば」はどうしょうもないほど堕ちて」
そうですね。水俣も今は逆に自然のイメージでがんばってますが、最初そこのミカンを買うとき引っかかりがありましたし、光市もその明るいネーミングを取り戻す大変さを感じます。
特に今の時代言葉のイメージや響きを優先する傾向もありますから。
車や家電商品もネーミングが全ての様な伝説もあるほど。
子供達の名前も学校の先生は読めんだろうと思うような漢字で寄せ集められた名前が増えました。
親にとっては、特別なのはわかりますが、普通に読める普通の名前の方が特別的になりつつある昨今。
普通っていいなーと思いますが、、。
私達の時代では学校名は、地区名以外の名前はほぼ無かったとおもいます。同じ地区にいくつかあっても「第2」とか「北」とかでしたね。
あじけはないかもしれませんが、それが普通で問題も少ない様な感じがします。
もちろんキリスト教会も今風の名前や、人を集めやすいイベント名など、それを追いかけている事を見るとき世のものだからしょうがないかと思いながらもその名前がついているので残念に感じます。
「さくらんぼ」問題
名前の響きとは裏腹に大人の対応がいいですね。
キリスト教ならびにキリスト教用語のケチの付き方は相当なもので、変質し、腐り果てていると言ってもいいでしょう。
返信削除それでもなお、損なわれることのない十字架と復活の事実に信頼すればこそ、ことばへのささやかな望みをもって何某を語る気になるのです。
Saltさん
返信削除貴方の仰る如しです。
アーメン!!
語って 下さい。
聞かせていただきます、、、、。
感謝しつつ、、、、、、、
匿名さん、どうもです。
返信削除それほど強い使命感に溢れているわけでもないですが、語るべきことばと必要がある以上は、取りあえず続けるつもりでいます。
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