大雨による奄美地方の災害の傷跡も癒えない中、あの中越地震から6年目を迎える。
Y.B.M氏のコーディネートによって、丸山祐一郎氏らとともに現地で数回のコンサートを行った。
この写真は震源地である川口町の被災青年たちが、ボランティアと自衛隊の為に催したコンサート。 被災地で行われる慰安のためのコンサートとは逆のパターンだ。
最初はぎこちなかった自衛隊の隊員たちも、時間とともに打ち解け、最後にはボランティア・スタッフも、被災地の青年も、参加したミュージシャンも、みんな肩を組んで「上を向いて歩こう」を歌った。あの夜を私は忘れないだろう。
ギターと歌という素朴なかたちが表現できるもの、共有できるものの可能性と音楽の素晴らしさを感じた。何もかも失っても、祈ることと歌うことは出来る。
災害は、人にとって本当に必要なものは何なのか?そんな「暮らしの原点」を見つめさせられる。
演奏が終わってから、このライブを企画してくれた被災青年のグループの女性スタッフに「ご自宅の被害状況はどうですか?」と聞いてみた。
すると、彼女は笑顔でこう答えた。
「屋根がなくなったので青空がキレイです。お風呂も露天風呂になりました」
"A handicap is inconvenient, is not a misfortune, though".
返信削除ヘレン・ケラーの名言ではないが
「災害は不便だが不幸ではない」
ただこれは当事者しか言えない言葉。
被災青年のグループの彼女やるなー
かっこえー
私が中越へ行くことになったことを知ったクラスの子どもが数人、それぞれに自分の貯金箱をもってやって来ました。
返信削除私はそのささやかなお金を奈良で集めた義援金と一緒にせず、クラスの子と同じくらいの子どもたちに直接手渡すことにしました。
小千谷市の義援物資集配所のライブ会場で見かけた女の子に渡したのですが、その子の名前をたずねてみると「星野夢」という名前でした。
びっくりしました。
何と貯金箱を持って来た子も同じ「夢ちゃん」だったからです。
神さまがくださる出逢いはいつも劇的です。
主は素晴らしいですね。
返信削除神の言葉も団体や国によらず
人から人手から手に渡していくもの
小さな奇蹟の10年後20年後のその先
永遠が楽しみです。
人から人へ、手から手へ渡して初めて気づくことがあります。
返信削除私たちの主がどんな風に「いのちのことば」を伝えてくださったかを思い出せば、アホみたいな大集会なんて、恥ずかしくって出来るはずがないと思うのですが・・・・