2010/10/10

散歩中に三歩先を天皇が通る

最近、にわかに駅周辺が綺麗になった。昨夜ライブのリハーサルのためにやって来たSueちゃんが「駅のトイレ、綺麗になってましたよ!」と言っていた。すかさず「Sueちゃんが来るから綺麗にさせてん・・・」と切り返したが、もちろんSueちゃんの為ではないし、私にそんな権限もない。 実は、平城遷都1300年記念祝典御臨席及び地方事情御視察のため御来県になり、そのコースに室生寺と長谷寺が入っているというわけだ。午前10時30分頃、近鉄特急で室生口大野の駅で降りて、黒塗りの車で駅前の細い道を通られる。天皇が駅のトイレで用を足すこともなかろうが、トイレが綺麗になって困る者はいないから、まあ、いっか。

特に熱烈にお迎えするつもりはなかったのだが、どんな警備や歓迎をするのか興味があって、ダム周辺の散歩予定を駅付近に変更すした。散歩中に三歩先を天皇が通るというのも面白い。住民に対する事前の広報がなかったのでそれほど大勢の人も集まらず、ピリピリした感じも物々しい様子もなかった。

とは言え、白バイやパトカーの先導でお付きの人々の関係の車が連なりちょっとした行列が続く。そして、行く先々で交通や入場の規制はかかる。

この平成の時代になってなお、天皇陛下が来られるともなればこれだけの騒ぎとなるわけだ。当然の事ながら庶民の日常と普通に接することはあり得ないし、御自身が庶民の日常を体験されることも許されていない。

このように考えると、イエスが人となって全く普通に庶民の日常を体験されたことは驚くべきことだ。地元住民に「あれは大工の息子で、我々と一緒に住んでいるじゃないか」と近所のおっさんに批判されたことは、「この方はまことに神の子であった」というローマの百人隊長の証言にもまして輝いている。

昨日もリコーダー講座に参加されたシュタイナー大好きの方が、子どもの発達について「10歳で魂が受肉する」と話しておられたが、「魂が受肉して人となる」という発想も、「天皇は現人神である」という思想も、神の子イエスの受肉の変型にすぎない。

そう言えば、昨夜SueちゃんとMomoちゃんを駅まで送ったとき、4頭の子鹿を見た。子鹿たちは12時間後に天皇が同じ道を通ることなど知らない。私たちは、子鹿たちを発見するとちょっと離れて車を止めて、彼らが移動するのを待ってから再び車を動かした。道は誰のものでもない。交通規制は「シカ」たないが、「馬鹿馬鹿しいよ」とシカも言っている。

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