2010/04/10

折りしも、オネシモ

昔コロサイの町にピレモンという人がいた。彼はオネシモという奴隷を所有していた。詳細は明らかにされていないが、オネシモは主人であるピレモンに何らかの借りのある状態で逃亡する。その後、オネシモはパウロと出逢い信仰を持つ。パウロはこのオネシモをピレモンに送り返し、主にあって兄弟として迎えるように促す。(ピレモンへの手紙)

長男の大学受験の件ではいろいろと励ましのコメントをいただいたりした。

はからずも父としての情を醸すような文章を書いてしまったが、実はその後の展開の中で、大いに教えられることがあった。

主の不思議なお取り扱いの中で、私は「父」として「教師」として、根本的に駄目出しをいただいた感じを持っている。それは、とても苦く甘い経験だった。

親子は主人と奴隷ではない。そんなことは当たり前だ。しかし、子どもが親に対して妙な「負い目」を感じているようであれば、何かが違っている。

私は何があろうが、子どもが「健やかな状態」でいられるように育てて来たつもりだったが、いくつかのダメージは彼から「健やかさ」を奪ってしまった。


私は彼を「主にある兄弟として」(ピレモン16)迎えなければならない。けれども、私は心の何処かで課題を先送りしていた気がするし、そういう感覚は正直あまりなかった。

彼の問題は何であれ最終的に私が責任を持ち解決してやる覚悟でいたし、それが正しいと思っていた。だが、どう考えても私には初めからその力がない。

「父」として「教師」としての私が、無能感、無力感、自己嫌悪に襲われる。

「彼は私の心そのもの」(ピレモン12)と言えるような子どもであって欲しいという願いと現状との大きなギャップ。

しかし、ピレモンは、「パウロの助けによって」オネシモを永遠に取り戻す。

「彼(オネシモ)がしばらくの間あなた(ピレモン)から離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」(ピレモン15)

このみことばは私を深く慰めた。まさに「折りしも、オネシモ」という感じ・・・

アブラハムは約束の子イサクを捧げて再び取り戻す。

「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです」(ヘブル11:19)

このみことばは、かつて恋人であった女を妻として取り戻す時にも私を支えたことばでもある。

私はきっと息子を取り戻すだろう。それは受験や進路がどうしたとかいうレベルのことではない。

信仰とは・・・
礼拝とは・・・

理屈や概念ではない。それは、「今、生きること」であり、「今、選ぶこと」であり、「今、委ねること」だ。あらゆる場面で主を主とすることは、キリスト教の牧師の説教のように簡単ではない。

5 件のコメント:

  1. 「あらゆる場面で主を主とすること」

    そうですね、でも、… でも、と言ってはいかんのだろうな。
    教会の聖書通読の箇所がヨブ記になっています。みことばの字面は追えても…

    「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
     しかし、今、この目であなたを見ました。
     それで私は自分をさげすみ、
     ちりと灰の中で悔いています。」(ヨブ記42:5,6)

    Salt氏のことばに教えられます。
    家族に向かう勇気が与えられました。

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  2. 今日、Y.B.M氏から銀じ郎さんの写真集を見せてもらいました。予想以上の出来です。ちょっと感動しました。

    「教師根性」というのはいやらしい響きですが、良い意味の「教師魂」が感じられました。

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  3. キリスト イエスの「はめ殺し窓」である電気屋から
    同労者Sal、ならびにあなたの家にある教会へ

    今、ピレモンへの手紙をよんでみて、全く違って見えることに驚きと喜びを感じています。

    社会の理念とイエスの思い
    世にあって、この世の者ではない私たちの課題かもしれません。

    親から見て子はいつまでも子ですが、いつのまにか大人になり追い越していってほしい、その時、主に委ねることが出来るのか、頭でわかっていても結構難しい者です。完全な育て方が出来た親もいないですし、唯一の例外であるアダムすら完全な父を持ちながら間違いをおかしてしまう。親子の関係もまた実に深いですね。

    そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください。

    私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。

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  4. 先ほどは電話での交わり、感謝でした。本日、私も教師としての無力さに直面しました。「委ねること」がそんなに簡単ではないこと、しみじみと感じ入ります。

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  5. こちらこそです。

    ・・・・というわけで、こういう内容になったわけです。

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