思うようにいかないことばかりだが、
思うようにはいかないからいいのであって、
だからまあすべてこれでいいのだけれど、
時々、からだが疲れ果てることもあって、
ちょっと休みたくても休むことも出来ず、
とにかく働き続けるうちに、
誰かに力を注ぐ必要にかられてなぜか不思議と元気が出て来るのであって、
「もうどうでもいいや」と思っていたことの細部にさえ、
再びこだわり始めたりもする。
そして、
結局「利己主義」というのが一番脆くて、
でも、
「誰かのために」とふんばるのであれば、
あと少し強くなれる余裕が生まれるんだ・・・・と気づく。
それが、私が何度も経験してきた天の法則だ。
いろいろあったここ数日間のことを伝えるのは難しいが、
とにかく、少し元気にはなった。
それほど無理をしたつもりはないのだが、
2日前はとうとう疲労困憊のせいか脂汗が出て職場で動けなくなった。(たぶん誰にも気づかれてはいないが・・・)
昨日は半分朦朧としながら大阪まで社会見学の引率。
その後、キャンセルしたいほど苦しかった家庭訪問に出かけ、2時間ほど話し込む中で「補助エンジンが始動する感覚」を覚えた。それで体調は未だイマイチだが、驚くような力が湧いてきて、今日はほぼ普通かそれ以上の感じで乗り切れた。
明日は一日音楽。「なにわのブラジル」に向けて「室生でブラジル」
かなり心配したが、どうやら最高の週末を過ごせそうだ。
100才の詩人まど・みちお氏が、世の中に疑問符と感嘆符さえあれば「ことば」なんていらないんじゃないかと言っていたが、これは至言だ。
主よ?アーメン!
これでいいのだ。
「誰かのために」は必要ですね。自分が弱っていても「誰かのために」何かをしているようでも、その誰かから案外力を受けていた事に気ずかされますよね。
返信削除私にもまだ「子育て」をする力が有ると驚いています。
気は若い?つもりでも(失礼をお許しください!)確実に体力は落ちていますので無理は禁物ですよ。お身体ご自愛なされこの週末を楽しんでください。
takakoさん、コメントありがとうございます。
返信削除おかげで今日は一日音楽に浸ることができました。
何処かに必要があるうちは、力はちゃんと備えられるようです。
でも、確かに運動能力は衰えました。種目にもよりますが、私の同年代のプロスポーツ選手なんてほとんどいませんからね。
体力も出来るだけ維持しつつ、もう少し無理がきくように抗いたいと思っていますが・・・・