2010/05/16

家族のリアリティー

「家族とは何か?」というのは簡単そうで難しいテーマである。

それは実のところ、信仰なしには解けない問題だからだ。

イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです」(ルカ8:19)とおっしゃっている。

「『神のことばを聞いて行う』という条件を満たさなければ、イエスはご自分の家族でさえ家族とは見なさない」とイエスは語られたわけだ。

このような厳格さが家族の前提である。

神のことばを聞かず行わず、人の言い伝えの中で馴れ合って「兄弟だ」「姉妹だ」と呼ぶのは間違っている。私はこの安っぽく嘘っぽい人間関係に耐えられるほど鈍感に出来ていない。

ヤクザの世界だって、兄弟の杯を交わしたらもう少し厳格だ。

少年時代の都上りの際に、イエスを見失った両親に語れたことばは、「どうして私をお捜しになったのですか。私は必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか」(ルカ2:49)であった。

カナの婚礼の際にぶどう酒がなくなったことを訴えた母に対してイエスが語られたことばは、「そのことで、わたしとあなたは何の関係があるでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ2:4)であった。

ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫だという誇りを持っていたが、正しくは、「アブラハムの信仰を継承する者」を指すことは、聖書を見れば明らかである。

つまり、この世においては、信仰がなければたちまち実体のリアリティーが薄れ、影が全てであると思い込んだり、実体と影が逆転したりするということだ。

信仰の家族のリアリティーは極めて希薄である。偽の家族ゲームは、欺瞞と裏切りと失望に満ちている。

6 件のコメント:

  1. 現代の家族を見る時に
    移り行く影をみる思いがある

    家族、兄弟、姉妹は本来それだけですばらしいです。

    私も家内を、主にある姉妹としての認識のほうが日々大きく感じられる。

    我が郷土誇り、(綻び?)元横綱 輪島
    卒業論文を極太マジックで書いた彼が

    インタビューで「輪島さん兄弟はいますか。」
    と聞かれたとき

    「兄弟はいませんが、妹が一人います」

    結構、輪島の逸話も電気屋は好きです。

    返信削除
  2. 見てはいなかったけど、『家族ゲーム』なんてドラマがあった様な記憶があります。

    返信削除
  3. 電気屋さん

    輪島伝説はかなり「オモロイですが、ゴールデンアームボンバーは正直あまり見たくなかったです。

    現役時代の北の湖との土俵際での投げの打ち合いは圧巻でした。

    格闘技はボクシングからプロレスから相撲まで大好きなSaltでした。

    返信削除
  4. エシュコルさん

    「家族ゲーム」はTVドラマにもなってたんですね。

    森田芳光監督の映画は観たことがあります。松田優作が怪演してました。

    返信削除
  5. あの人は、相撲の解説も含め
    相撲以外全くだめと言っても良いほどの人で

    クイズ番組にも当時出たこともあるのですが、、、

    スタッフもわかっていて事前に何問目の答えはコレと教えてあって、唯一答えられる問題に元気に押したのは良いが、忘れてしまって
    「う~ん、アレッ、え~っと、えーっと」
    「はい輪島関正解です。答えは江戸でした。(汗)」
    という読みの深いスタッフには感心!

    ヘキサゴンが当時あれば、、まあそれも無理か。
    すみません、家族の話を脱線させてしまいました。

    家族が素晴らしいのは天の影だから
    影でさえもやはりいいものです。

    返信削除
  6. さすがのジャイアント馬場も、輪島の輪島ぶりには手を焼いたようですね。

    返信削除