2010/05/05

連休の終わりはセンチメンタル

こんなにゆっくり出来たGWは久しぶりだ。細々とした用事もあったが、ほぼカレンダーどおりに休めた。それだけに連休最後の日はちょっとセンチメンタルなのだ。

この前まで立っていた建物が町から突然消えて更地になっているという光景は、郊外の町にはそれほど珍しくないが、ネット上から馴染みのブログがひとつふたつと消えていくと寂しさを感じる。

Koji君の「The Word」やムベさんの「石ころ」はよく訪れていただけに残念だ。

私は彼らとは親しい関係にあるので、ブログが閉じられてもリアルなつながりが途絶えるわけではないが、ネットを通じてしか彼らの暮らしの息づかいを感じられない方は、もっとガッカリしておられるのではないだろうか。

でも、そんなことくらい、当の御本人たちは十分考えた上で「しばらくお休み」という結論を出されたのだから、私がグダグダ言っても仕方がない。

そもそも「何の為に」という動機が一番大切だ。ブログの為に費やす時間やストレスが大きくなりすぎるとその「何の為に」がぼやけてくる。

Koji君やムベさんは真面目な方なので、「何の為に」に釣り合う中身を追い求められて、きっとあれこれ思い悩まれたのだろう。

私の場合は、半分はけっこう真面目な発信なのだが、もう半分は「こんなもん、たかがブログじゃねえか!」と遊び心でやっているので、この程度であれば、負担どころかけっこう楽しみになっている。

しかしまあ何ですなあ~(桂小枝調で)ネットの付き合いに義理も作法もないのかも知れませんけど~いろいろ考えさせられますぅ。

誰でもが簡単に書き込めるのは、表面上極めてフラット化されているようだけど、実際はそんなことはない。どんな短いコメントであっても、ことばには「その人間」が現れる。そうしたコメントを見ながらプロファイリングするのは面白い。自由と平等は共存出来ない。自由度が増すと、くだらないものは本当にくだらないということがけっこうハッキリ明らかになる。

また、私の場合はリアルなつながりの濃い人たちとのやりとりが主になるので、表現上の誤解でもめることもないし、大して気も使わないが、コメントのことばじりをとりあってもめたりするのはさびしいことである。

内容については、大いに議論していいと思う。反対意見や多様な角度からのコメントが寄せられるブログは価値が高いと思う。

でも、あんまりそういうのはないかな。

所詮、それがブログであって、それ以上でも以下でもない。

最後に、先の譬えをもう少し正確に修正して私の希望を述べれば、更地になったとしてもリニューアルオープンのための建て直し工事なのだ・・・と期待している。

4 件のコメント:

  1. おそらくセンチメンタルを
    初めて体験したのが、サザエさんのエンディング
    学校へ行くことが嫌だった私にはあの明るい曲も悲しく聴いたものだった。

    なぜ、楽しい時が終わらなければならないのだ
    なぜ強靱な体を持つウルトラマンが、3分しか地球上にいれないのか、地上ってそんなに過酷なのか?(後日、円谷プロの訳を聞いたが)

    永遠と言うものは本当にあるのか。
    あるなら見てみたい、味わってみたい手にしてみたい。
    そんな時もありましたね。
    イエスは本当にすごいです、底が知れないですね(高さと広さもですが)彼と付き合っていると彼に関してセンチに感じた事がない。

    確かにたかがブログですね

    そしてお決まりのされどブログ

    皆さんの熱いコメント勝手に募集しております。

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  2. バカボンのパパが、確か夕焼け(だったかな?)を見つめながら、「何だかセンチメートルな気分なのだ!」とつぶやくシーンがあります。

    私はそういう感覚がとってもシュールで好きですね。

    永遠が「退屈な今」の延長であるなら、消えてなくなりたいと思っていました。とぎすませれた認識は罰でしかあり得ない。

    信仰を持つ以前は「永遠」になんぞ、全く興味がありませんでした。

    イエスという御方のゆえに「永遠」に希望を持てるようになりました。私にとって大きな奇跡です。

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  3. ”「何だかセンチメートルな気分なのだ!」”

    遠い記憶の引き出しからそのワードで検索がかかり、ヒットしました。
    赤塚不二夫、実におもしろい

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  4. 単なる語呂合わせじゃなく、時間を長さで表そうとするちょっと無理だけど無理でなさそうな感じや、何でもかんでもカタカナことばで表現することばの貧しさを揶揄する感じや、そして何よりいっつもノンストップで馬鹿なことをやってるパパがちょっと立ち止まって振り返っている感じが何とも言えず面白いわけです。

    昔、無神論的実存主義の哲学書とバカボンを同時に読んでいましたが、赤塚はニーチェやサルトルに劣らない内容の深さですよ。面白さは断然赤塚に軍配です。

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