2010/04/14

「冥福を祈る」を常用すればいい

先日来られた宣教師のご婦人に「Saltさんはどれぐらいの漢字が読み書き出来るか」と尋ねられ、「そうですね、きちんと読み書き出来るのは2500文字くらいでしょうか・・・」と適当に答えた。今日のニュースによると、常用漢字が少し増えたらしい。これで常用漢字は2136文字になった。とすれば、いくら何でも2500くらいなら何とかなるだろう。三鷹市の市長が「鹿や熊が常用漢字になったのに鷹がはずされるのは合点がいかない」と話していたのが面白かった。

「あの字をはずそう」「この字を入れよう」というようなことは、文化審議会国語分科会の漢字小委員会というところが決めるらしいが、おせっかいなことだ。

「常に用いる」って何だ?

この「常用」は「携帯」と似た響きがあって何となく信用出来ない。

「携帯電話」を略すなら正しくは、「携帯」でなく「電話」だろう。「携帯」するなら「傘」の方が歴史がある。でも、「携帯傘」を「携帯」とは言わないだろう。私の母は、携帯をほとんど携帯しない。持つのが重いのだそうだ。母の携帯はリビングのテーブルの同じ場所にいつも置いてある。そして時々孫とメールをやりとりして満足しているのだから、そんなものを「携帯」と呼ぶのは奇妙に思える。

まあ、そんなことはどっちでもいい。母の使い方もそうした道具の呼び名でも、みんなが呼ぶように呼ばなければ、感覚を共有できないではないか。だから、私も電話に出たり返信したりが面倒臭いときは数日にわたってあえて携帯しないこともあるが、「時々ケータイ」とか「気まぐれ電話」とは言わずに、世間の例にならって「ケータイ」と呼んでいる。

表現やことばについてこだわるというのは、本質的にそういうことではないのだ。

教会が「エクレシア」であることは知っている。「エクレシア」はもちろん「教える会」ではない。でも、カナンエクレシアではお菓子屋さんみたいではないか?別にカナン教会でいい。そんなところでこだわりを見せてもしゃあないのだ。

違いをわかっていることは大切だ。しかし、それを抱き込みつつ、きちんと分別していることが大人の態度である。

若者のことばの乱れが・・・言葉の使い方が・・・・どうのこうの、本当の意味はかくかくしかじかと、蘊蓄をたれる人は何処の世界にもいる。しかし、ことばなんか所詮は記号なのだ。どっちが正しい記号かというようなことは愚かな議論だ。大事なことは、「なぜ本質が別の記号にスライドしたか、そのズレが本質の捉え方にどんな変化をもたらすのか」ということだけ。

「冥福を祈る」という言葉がある。リクエストがあったので、面倒くさいけど、「・・んなこたあ、どっちでもいい」ということを言うために無駄な蘊蓄をたれてみる。

冥福とは厳密に言えば、冥土における幸せのこと。冥土とは死者が亡くなってから49日間さまよう場所のこと。仏の道においては、生前の行いを裁かれ、次の世界を決める場所であるとされる。大乗仏教である浄土真宗十派では死んだ瞬間に即得往生で仏の仲間入りをするので、他宗の様に冥土の旅そのものが存在しないので、その最中の幸福を祈るということはそもそも意味が無い。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」というわけだ。「真宗なおもて冥福を祈らず、いわんやキリスト信仰をや」ということなのだろうが、「仏教用語じゃないのか」という指摘の中でも、このように教義は分裂しているわけだ。

「普通の感覚」だとこの辺りでどうでもよくなってくるはず。

だから、普通の「死後の幸福」という程度の意味で使っているのなら、クリスチャンが「冥福を祈ります」と言っても別にかまわないと思う。クリスチャンが「多分信じていないだろうな」という人の死に際して使うふさわしいことばが他には見当たらないでしょう。

死んだ者はいくら祈っても甦らない。人が死んだら誰であれ、死を悼むのが常識。時として歪んだ信仰は人を無神経で不謹慎にする。

私は食前にとってつけた祈りはあえてしないが、給食の前には子どもと一緒に「合掌」する。別にパンやおかずを拝んでいるわけではない。

「冥福を祈ります」は、亡くなったときの、良くはないけど、悪くはない決まり文句だと思う。キリスト教の手垢にまみれた表現よりはよほど自然なことばだと思う。

それよりも、唯物論者こそ、自分たちの持論にふさわしい弔いや慰めのことばを考えればいいと思う。「死んだら終わり。死後の世界(霊界)も輪廻転生もありえない」と信じる人は、代わりにどういう言葉を使うのかを聴いてみたい。

3 件のコメント:

  1. 全く同感です。

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  2. ご無沙汰です。
    部屋で縫い物の仕事をしながら色々な
    メッセージを聞いておりますが、
    今日、ゆばるさんの新しくUPされた
    中での最後の祈りの時、Saltさんの
    ご子息の事も祈られていたのでは
    ないでしょうか。ご存知でしたか?
    どこかで祈られているのって、嬉しいですね。

    >クリスチャンが「多分信じていないだろうな」という人の死 に際して使うふさわしいことばが他には見当たらないでしょ う。

    何か良い言葉がないものでしょうかね。
    この言葉を言えば、あぁクリスチャンなんだ と
    思ってもらえて、なおかつ慰めにあふれた言葉。

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  3. ネズミさん、どうもです。

    こんな妙な意見に同意したいただけて恐縮です。



    オネシモさん、ご連絡ありがとうございます。

    ゆばるさんの新しいメッセージも近いうちに拝聴します。

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