2010/04/03

さらば「ふるさと元気村」

2007年、私は「ふるさと元気村」の常設アーチストとしての招きを受け、創作実験工房「童」を立ち上げた。そこで数々のワークショップを企画・主催してきた。

現役の勤め人が、さびれていく地域のために貢献できることは何かないだろうか。そんな小市民としての正義感に燃えて立ち上がったのである。アートと癒しと村おこし、けっこう面白いテーマである。

「ふるさと元気村」は廃校になった田口小学校を文化芸術活動体験交流施設として再生させたものだ。

私の生業は「世間が狭い」などとしばしば揶揄される学校の先生だが、私には誰にもそんなことを言わせない幅拾い分野の友人たちがいる。しかも、それぞれの道の達人も少なくない。こうした出逢いを、ただ私が面白がっているだけではもったいないと思ったからだ。

アトリエは、最初から自己実現の為の制作の場所ではなく、何でも出来る実験工房としてスタートさせ、私が教えるのではなく、それぞれの道のプロに来てもらって、間口が広く奧の深いワークショップを体験してもらうことにした。私はコーディネーターに徹し、講座の時は、私も生徒としてお金を払って参加するスタイルをとった。

他の工房は、それぞれに「陶芸」や「竹細工」や「一閑張り」や「切り絵」をしておられるのに対し、私のやっていること、やろうとしていることは、初めからまるで性格が違う。
他の人は大体、毎日来られて工房を開けているのに、私は月に数回しか来ない。

月に2回の講座も1日にまとめて、午前と午後にしている。この講座の質と成功にかかっているわけだ。しかし、雪の多い冬場は期待するほどの参加者が見込めない。せっかくの企画にも少人数の参加者では申し訳ないので、2009年からは苦肉の策として、自らが講師となってリコーダー講座を始めた。これは参加者が少なくても自分が講師なら気を使わなくてすむという極めて後ろ向きな理由で始めたのだが、これがウケた。伴奏者としてmomoちゃんが来てくれてからはますます面白くなり、神戸でも出張講座が開かれた。これなら、まだまだ続けられそうだ。そう思って、この春からも契約を更新しようと思っていた。

ところが、皮肉にも元気村全体の活動も活発になり、また宇陀市の管理が強化されることで、講座の日以外は閉じられている私の工房のあり方について、いろいろな意見も出るようになった。やはり、組織が妙に機能し始めるといのちの働きを損なうのである。

館長さんや、工房を取りまとめる代表者の方は、私が音楽室を自由に使えるようにして、元気村に残れる道を考えて、新しい提案をしてくださってはいたが、何回かに渡る話し合いの中で、彼らの善意とともに、一番根本的なところで「私がそこにいることの意味や価値」がほとんど伝わっていないことを感じることとなった。それで、互いの違和感が限界に達する前に、工房をたたんで元気村を出ることに決めたのである。

初めから自分の居場所や自分のやり甲斐を求めて始めたわけではないので、寂しさはほとんどないが、「そんなもんなんだなあ・・・」と思う。私がここにいて活動していることを励みにしてくださっていた方々には少し申し訳なく思う。

この3年足らずの間に、本当にいろんなところから、いろんな方が来てくださって、実に楽しかった。かなり濃密な想い出が出来た。改めてスタッフや協力者の皆さんに感謝したい。

「こけ玉づくり」や「ビオトープ」や「寄せ植え」など、子どもから大人まで幅広く取り組める内容で、植物の魅力を再発見させてくれた「植物屋・風草木」のJunpei君。

「流木アート」や「ダッチオーブン料理」でアウトドア魂を見せててくれた理想工房Craftのつっちゃん。

私をもうならせた圧巻の「デジカメ連続講座」で自分自身写真熱に再び火をつけてしまうことになったSiGNのY.B.M氏。

「アロマの香り」で工房を別の空間に変えてしまった「CalmDays」のイソカイさん。

たくさんのスタッフを引き連れて、「さをり織り」を明るく楽しく指導してくれた「アトリエSUYO」のすーちゃん。

私の企画展「44eyes」のために特別に額を制作し、「青空工房」でたくさんの仲間を呼んでくれた「wood Craft空sora」の松永さん。

素敵な宿を提供して、いつも仲間をもてなし、私を励ましてくれた「栗の木の家」の竹本さん。

旅の音楽家丸山さん、笛吹きの野田さん&赤星さん、そして相方のUribossa氏と姪っ子のMomoちゃん。そして、陰で支え応援してくれた妻と子どもたちに感謝している。

6 件のコメント:

  1. すべて始まりがあるものは終わりもあるもの
    Saltさんの軌跡の一部を見せていただいて感謝です。

    昼ごはんを片付けたら次に夕ご飯の準備があるように
    ひとつの事が終わり、次が始まるわけで

    春ですね。
    ご苦労様でした。

    返信削除
  2. うーん、残念ですね。この春はやはり兄弟姉妹にとって、やはりいろいろな転機の春となりましたね。

    電気屋さま、別に狭まってませんから、ご安心を^^

    返信削除
  3. Saltさんどう思います。
    上のコメント

    こんなことされたと、彼の親方に言いつけておきます。

    返信削除
  4. 「ふるさと元気村」を去られるのは、私には少し淋しい思いがありますね。08年夏にそこで絵やスーちゃんとのコンサートなどを拝見させていただきましたね。
    電気屋さんが言われる通り一つの時代が終わって、もしかしたら再び戻られるかもしれないし・・・・。
    これからのSalt氏の新しい門出ですね。期待します。

    返信削除
  5. 私も、07年に宿泊させていただいたこと、思い出します。
    あの時は、本当にありがとうございました。
    「44eyes」は今でも心の中に響きつづけています。
    もっと行きたいなと思っていたのですが、、、
    休みの日があいませんでした。残念でした。

    また、今年はぜひ参加したい!
    と思ってたお友達の声も聞いておりました。

    場所などがかわるかもしれませんが、
    Saltさん、アーティストの皆様、
    スタッフの皆様のこれからのご活躍に期待しています。

    返信削除
  6. みなさん、コメントありがとうございます。

    この春は、私にとってもちょっとした節目となりました。

    鈍い私にもわかる数々のしるし。

    主にある終わりはいつも新しい何かの始まりです。

    返信削除