2010/12/10

裏付けと裏技と裏話


「師走に走らず」などと恰好をつけてみたものの、それは「追い立てられても急がないぞ」という私の意地にすぎず、実際にはやるべきことの物量や厄介さがハンパではなく、最近は柄にもなく仕事漬けになってしまっていた。これは「半分は遊び」というような本来のバランスではないぞ。ヤバイ。

土曜日のライブ、日曜日のメッセージも、絶対に付け焼き刃では出来ない。平素の「裏付け」が必要なので、いつになく総力をフル稼働して辛うじて対応した。

メッセージは水曜日の夜中に準備して、土曜日に日曜日の心配をしなくてすむように調整。今日は一応仕事ではあるが、「裏技」を使って五時間目から出張。「おくりびと」の原作である納棺夫日記の著者、青木新門氏の講演を聴きに行った。場所は、明日ライブを行うカフェ・アルコのすぐ横のホールである。

無理をしてでも聴いてみたいと思わせる「何か」をあの映画には感じていた。単純に感動したからではないある種のおさまりの悪さが私の心に残っていた。

青木氏は、主演した本木雅弘の熱意や人柄を誉め、作品の完成度を評価し、成功を祝福するも、映画は原作とは別物であることを強調された。具体的な「裏話」をあれこれ聞いてなるほどと思った。

青木氏は、送られてきたシナリオを読んで10箇条に及ぶ内容の変更を要求したが、プロデューサーは全く耳を貸さなかったと言う。

「親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは伝わってきて、それなりにすばらしいとは思う。しかし、あれは私の原作とは違う。最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない」というのが、青木氏の感想だ。

結果として、タイトルの変更と映画には自分の名前を出さないようにと要求する。

なかなか私好みのひねくれぶりではないか。

講演の中で、御自身の人生の転機となった経験を著書を朗読するかたちで紹介されたところは、非常に力があった。

青木新門「納棺夫日記」より

久しぶりに、湯灌・納棺の仕事が入った。今日の家は、行き先の略図を手渡された時は気づかなかったのだが、玄関の前まで来てはっと思った。

東京から富山へ戻り最初につき合っていた恋人の家であった。 10年経っていた。瞳の澄んだ娘だった。 コンサートや美術展など一緒によく行った。 父がうるさいからと午後10時には、この家まで度々送ってきたものだった。別れ際に車の中でキスしようとすると、父に会ってくれたら、と言って拒絶した。それからも父に会ってくれと何回か誘われたが、結局会う事なく終わってしまった。 しかし、醜い別れ方ではなかった。

横浜へ嫁いだと風の便りに聞いていた。来ていないかもしれないと思い、意を決して入っていった。本人は見当たらなかった。ほっとして、湯灌を始めた。もう相当の数をこなし、誰が見てもプロと思うほど手際よくなっていた。しかし汗だけは、最初の時と同様に、死体に向かって作業を始めた途端に出てくる。額の汗が落ちそうになつたので、白衣の袖で額を拭こうとした時、いつの問に座っていたのか、額を拭いてくれる女がいた。澄んだ大きな目一杯に涙を溜めた彼女であつた。作業が終わるまで横に座って、私の額の汗を拭いていた。

退去するとき、彼女の弟らしい喪主が両手をついて丁寧に礼を言った。その後ろに立ったままの彼女の目が、何かいっぱい語りかけているように思えてならなかった。 車に乗ってからも、涙を溜めた驚きの目が脳裏から離れなかった。あれだけ父に会ってくれと懇願した彼女である。きっと父を愛していたのであろうし、愛されていたのだろう。その父の死の悲しみの中で、その遺体を湯灌する私を見た驚きは、察するに余りある。しかしその驚きや涙の奥に、何かがあった。

私の横に寄り添うように座つて汗を拭き続けた行為も普通の次元の行為ではない。彼女の夫も親族もみんな見ている中での行為である。軽蔑や哀れみや同情など微塵もない。男と女の関係をも超えた、何かを感じた。

私の全存在がありのまま認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。

2 件のコメント: