そして、本当に「世の為、人の為」は建前で「自分の為」は本音なんだろうかと問いたくなるのだ。
そもそも、神は人を複雑な関係性の中で共存させながら祝福することを目的としてこの世界を創造されたのであって、ある個人の為の単独の幸せなど存在しないと言ってもいい。
子どもに勉強することを勧めるときも、「勉強するのは自分のため」と言うのが当たり前になった。「~するのは、自分のため」を全面に押し出すと、「俺のことなんだから、ほっといてくれ」という理屈を肯定するしかない。
緒方洪庵の敵塾は、「世の為、人の為」の学問を教えた。私はその精神が好きだ。知恵は他人の幸せのために使うべきだ。
「私の利益」を勘定に入れずに何か打ち込んでいるときが、結果として私が一番得をしていたのだと後から気づかされることが多い。恵まれたのは誰かとともに分かち合うためであって、そのことによって自身もさらに潤うのである。
桐生市の小学生6年生の女の子がいじめを理由に自殺した。こういうニュースを聞かされる度に本当にやりきれない気持になる。ご遺族や関係者の慰めを願いつつ、あえて言うが、「人は自分の幸せのために生きているんだ」と教えられた子どもは簡単に人を死に追いやり、また自らも命を絶つ。実は自分の為だけに生きているほどしんどいことはないのだ。
誰かを傷つけることは自分を傷つけることなんだ。誰かを誹謗中傷することは自分を蔑むことなんだという関係性の理を知っていれば、世の中はもう少しだけやさしくなる。
自分ひとりで生きている人なんかいない。みんな誰かを支え、また支えられている。力のある人が無い人を支えているだけじゃない。その逆だっていっぱいある。
ただ生きているだけで、誰かの役に立ち得るのだと知っていれば、人は不幸にも耐えられる。試練や困難を乗り越えることができる。家族や恋人や友人の為に、同じ境遇にある人の為にもう少しだけ、明日一日をがんばれる。
幸せは独り占め出来ない。「人はひとりでいるのはよくない」これが神のプラン。神御自身のすべてを分かち合うために人は作られたのだから、神と離れた私の祝福も、隣人とは無関係の喜びも存在しないのだ。






