2010/07/19

セルフポートレートとしての写真




写真というのは、写す対象が何であろうと、それは一種の自画像である。

「写真に神話などない。情報が写っているだけ・・・・」とY.B.M氏は言った。

それは、私を取り巻く外部の情報であり、私自身の内部の情報でもある。そんな風に私は受け止める。

誰でも、シャッターを押すだけで写真は撮れる。そんなものにたいした優劣も、繊細な表現もないと思っていた。しかし、テキトーにシャッターをきったものであっても、私が撮ったものはどう考えても、「私が写したかったもの」である。それは、「私が残したかった時間」や「私が心動かされたもの」だ。

茶話会に参加された一人ひとりの作品を見ていると、そこには彼らの映像はなくても彼ら自身が写っているのを感じる。

写真は面白い。カメラが鉛筆や紙みたいになってくると楽しい。

もし、ワールドカップに日本が出ていなかったら、ずいぶん味気ないものだっただろう。日本が出場しているから、その他の試合さえ熱くなって観る。「子どもがいる」というのは、そういうことかも知れない。親は子どものサポーター。子どもがいるから、人生にも熱くなれる。

大きくなっても、子どもは子ども。そして、私もかつては子ども。そして、今は神さまの子ども。約束の場所で、私が見せてもらえるスライドショーはどんなものだろう。そんなことを思いつつ、シャッターをきる。

2010/07/16

ふぅ~っ

いよいよ1学期も3連休明けに終業式を残すのみ。

ふぅ~っと大きな溜息ひとつ。

私が全力で関わっても、子どもたちが短期間にそれほど劇的に変わるということはないし、一時的にそんな風に見えたとしても、それは本人にとってもそれほど幸せなことではなく、決して長続きもしない。

子どもには、一人ひとりに成長のスピードがあるし伸びる節目がある。無理に押したりひっぱったりしてはいけない。

小学校の教室は、目的を特化した塾でもスポーツクラブでもない。人格の成長を支援する場所であり、そんな個の成長を集団の中で生かす舞台である。

彼らはみな別個の独立した人格であって、決して十把一絡げにはできないし、彼らの伸びる方向や花開く時期などは、私の思惑通りにはいかない。

安易なパワーやスキルで管理することに違和感を持っている私は、こちらからの発信よりも、子どもからの受信をメインにした1学期を過ごした。

夏休みもそうのんびりは出来ないが、出来る限り休んで充電しよう。

2010/07/11

SIGNの写真茶話会



同じ時代、同じ空間を生きていても、ある人は注目し、ある人は見過ごすものがある。

それ故、私が撮った写真には私が選んだ情報が何かしら詰まっているはずだ。私が過ごした時間が多少は刻まれるはずだ。

カメラという道具を持ち込むことで、私を取り巻く世界に対して向けられる「自分自身のまなざし」に対して意識的になれるのが面白い。

参加者の作品を見ていると、それは何を撮っていようと一種のポートレートに見える。

2010/07/04

地上のかたち・天上のかたち



ブログでは「カン」のシリーズが続いたが、礼拝のメッセージは「カナン」のシリーズではなく、予定を変更して「メタモルフォーゼ」(ひねくれ者のための聖書講座⑰)の話をした。

数日前にはこのブログでも書いたが、「メタモルフォーゼ」とは変態のこと。生物が成長の過程でその姿を著しく変化させることを言う。私の中では、今ちょっとした変態ブームなので、自分にとっての旬のネタを選んだ。

私の教室では、子どもがつかまえてきたツマグロヒョウモンという蝶の幼虫を飼っているが、これが蛹になって羽化していく様子を観察している。

完全変態の昆虫の蛹化や羽化の様子は実に感動的。十字架と復活の美しいモデルなのである。

中年の皆様は、「メタボ」ルフォーゼになって無様な姿をさらさぬよう、「地上のかたち」も大切にいたしましょう。

2010/07/03

菅より元缶



Salt&Uribossaとしてどんな楽曲を選んでどんなふうに演奏するかについて、私たち自身がお客さん以上に、そのプロセスを本番以上に楽しんでいる。

今回のフライヤーは、そんなSalt&Uribossaの遊び心と音楽がデザインされていると思う。

菅より缶

「風のメロジア・レコ発ライブ」「ボサノバレンタイン」と続いて、田原本カフェ・アルコでの3回目のライブです。私が少年時代を過ごし、相方Uribossaが現在も棲息する磯城郡での演奏は、特別な思い入れもあり、今回も短いインターバルながら、新曲・難曲に果敢にトライします。

オーナー自慢のお食事プレート(限定10食)は、デリシャス&リーズナブル。
各種ドリンク片手に、まったり「真夏の夜のボサノヴァ」をお楽しみください。


2010/07/02

メタモルフォーゼ

今から約20年前の詩を綴った詩集「生贄たちの墓標」の中で、私は「アゲハチョウの変態に隠された本物の哲学」というフレーズを書いている。

「変態」は、最近のマイブームでもある。私の教室で「ツマグロヒョウモン」という蝶が次々に羽化しているからだ。職員室では、同僚が持って来た「オオムラサキ」の蛹が羽化した。

そうこうして盛り上がっていたら、電気屋さんのブログでも羽化の話題が取り上げられているではないか。こういう霊的シンクロは楽しい。これはムシできないなあという感じ。

昆虫の羽化、とりわけ蝶の仲間のように、完全変態といって「蛹」になるもののメタモルフォーゼは実に感動的だ。まさにそれは死と復活のモデルであり、栄光のからだの実在を保証する天からのメッセージでもある。

人の目にはあまり触れないかも知れないが、あちこちで今日も無数の虫たちが「いのちの法則」に従って羽化している。

人間様は、ウカウカしていてはいけない。

2010/07/01

こりゃあ「かんなおと」おい景気回復

菅首相は、「低所得者に配慮し消費税率を上げた分を還付する」と発言。その「低所得者」の定義も揺れ動き、聴き方によっては、半数の世帯からは消費税はとらないともとれる内容である。いったいこの人、何を考えているのだろう。

消費についても、税金についても、一国のリーダーとしてあまりにも考えが浅薄である。本当にこんなことをしてしまうのなら、そもそも何の為に増税するのかさっぱり意味不明だ。

「むこう4年間消費税は据え置く」と公約して政権をとった民主党。参院戦を控えて候補者に配られた想定問答集の中では、「マニュフェストは、状況を見て変わっていく余地がある」と書かれているというからあきれかえる。法人税率は見直さないのか。

このまま菅氏が、片方で日和見のパフォーマンスをしながら、己の政権延命のために対米追従路線を突っ走れば、この国は取り返しがつかないほど落ちぶれ果てるのではないかと思う。

「議員定数を見直すべきだ」という意見も少なくない中で議員会館の建て替えをしたり・・・・政治家のやることは、庶民の感覚から大きくかけ離れている。

2010/06/27

schola 音楽の学校

数回にわたってNHKで放送されていた坂本龍一の音楽番組がなかなか面白かった。

schola「音楽の学校」というタイトルだが、scholaは、ラテン語で学校を意味するが、語源はギリシャ語のscholeで「暇」という意味だ。

最近、学力低下の原因ともされている「ゆとり教育」だが、「学校」はそもそも「暇つぶし」でなきゃいかんというわけだ。さらに教育の本意は「その人の中にすでにあるものを引き出す」という意味であって、外から詰め込んだり、鋳型にはめたりする現実とはほど遠い。

学校や教育の話になると、やはり仕事柄もあって、若干テンションがあがってしまうが、今日はゆるく坂本氏の番組と彼の音楽観の話。

坂本氏の作ってきた音楽が特に好きというわけではないし、YMOが大ブームの時は、かなりシラケて見ていた。オリエンタリズムを安易に売りにするのも私の好みとは程遠いものだった。

私は彼が自分の娘のために作ったという「オンガク」という曲が好きだった。この曲は最高にカッコイイと思った。

オンガクを学び尽くした彼がわざわざオンガクというタイトルをつけた楽曲は、とってもシンプルな子どものための曲。しかも、いつも歌わない彼がとつとつと歌うその歌詞もいい。

ボクは  地図帳 ひろげて オンガク
キミは  ピアノにのぼって オンガク
ハハ  待ってる 一緒に 歌うとき・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=zFs880dNtmM&feature=related (最近のテイク、かなりシブイ!)

番組は、彼と馴染みのミュージシャンたちとの対談や子どもたちとのワークショップ。そして自身のユニットの演奏という構成になっていたが、なかなか楽しめた。

音楽をどう教えるか、どう伝えるか、どう共有するか、どう楽しむか・・・
これは私にとっても大きなテーマである。

番組はあっさり終わってしまったが、坂本氏の今後の発信や作品が楽しみである。

カナン教会・夏のスケジュール

本日の礼拝は、メンバーの都合により「家庭礼拝」に変更しました。メッセージがないので、レギュラー以外の参加はないと思いますが、念のためにお知らせしておきます。

カナン教会・夏のスケジュールです。


7月

04 メッセージ「日は動かず月はとどまる」(約束の地カナン⑦)
11 分かち合い 聖餐式
18 家庭礼拝
25 メッセージ「タイトル未定」(ひねくれ者のための聖書講座⑰)

8月

01 分かち合い 聖餐式
08 メッセージ「タイトル未定」(約束の地カナン⑧)
15 家庭礼拝
22 メッセージ「タイトル未定」(ひねくれ者のための聖書講座⑱)
29 家庭礼拝

礼拝はpm2:00からです。電車でお越しの時は車でお迎えに行きますのでご連絡ください。桜井駅や柳本駅に1時半前後に着く便で来られたらぴったりです。

どなたでもお気軽にお越しください。

2010/06/26

100年後のためのSign







毎回のライブはまさに「生もの」、今日はさすがに梅雨の最中だけあって強烈な湿気に悩まされた。商品でもある植物たちに囲まれて演奏するのだから当然と言えば当然だが、6月は失敗だっかかな。

ボサノヴァはリズムのキレがいのちなのだが、汗ばむとナイロン弦に指が絡みついて、うまく爪弾くことが出来ないのである。

そんな悪条件だったが、それでも風草木は大好きな空間。楽しく演奏することが出来た。今日はY.B.M氏が来ても来なくても、彼との関わりの中で生まれた曲「100年後」と「Sign」で締める予定だったので、開演直前に彼が現れたときには、思わずにんまりした。贅沢な時間を過ごさせてもらった。Junpei君、ありがとう。

スタッフのY嬢がとってくれた写真もなかなかいい。

水の上を歩く

今更ながらだが、私は特に「子どもが好き」というわけではないし、「学校」という仕組みや場所は「警察」と「病院」の次に嫌いだ。私は地方の何でもない美術館とか図書室とか、それほど混み合わない静かな場所が好きなのだ。

チャイムやカリキュラムや、あらゆる決まりや薄っぺらな目標や、追い立てる雑務や、わずらわしい人間関係に納得したことはただの一度もない。

イエスがナザレで30年間過ごされたという事実がなければ、私は100%教師などしていない。逆に私が学校で過ごすことは、そうしたイエスの追体験としての学びの要素があるからこそ価値を認めているのであって、仮に「良い先生」であるような一瞬が私の日常に認められるとしても、それは「良い先生であること」を目指した結果ではない。私は断じてそういう者にはなりたくない。

目の前にかわいい子どもたちが困っている状況があれば、何とかしてやりたいとは思うが、そんなことは評価すべきことではなく、大事なのはプロとしての「その手立ての正確さ」であるべきだ。そうした意味でのスキルはまだまだ未熟だし、この世界に身を置く以上は真摯にそれを追求しなければならないと思う。それが出来たとしてもそれはただの教師の標準であって、取り立てて評価すべきでさえない。それは「無農薬野菜」とか「有機農法野菜」とかいうレッテルみたいなものだ。野菜はそもそもそれが標準だと思う。

現場の真実を知っている教師は、机上の空論で自己完結する大学教授の話がいかに空疎かを日々確認している。

人が生きるということ、子どもが育つということ、そしてそんな人々が絡み合う世の中は、本や資料をつなぎ合わせた式やモデルで表せるほど単純ではない。脳みその中で空転する理想で世の中はまわらない。

小さな現場で長い時間留まれば、人の営みの難しさがわかる。イエスはナザレで、そこに暮らす人々と生きられたのだ。

私は偉そうにメッセージしているが、いつも信仰的というわけではない。イエスから目を離して湖に沈むペテロのごとく、日々水没の危機にさらされている。

私には教師の資質がそもそも足りないので、仕事を自力で乗り切る力はない。私にとって教師の仕事は、まさに水の上を歩くのに等しい。私が何とかやっていけているのは、ただ主の召しと導きの確かさのゆえだとつくづく思う。

今年はメチャクチャしんどい。思ったようにいかず、柄にもなくイライラすることも多くなった。そんなとき、そもそも私はここにいるはずじゃないのにここにいるのはなぜかを思い返す。そうすれば、静かにまたゆっくりと水の上を歩けるようになるのだ。

2010/06/25

3-1

たまたま起きていたのでデンマーク戦をリアルタイムで観た。熱狂的なサッカーファンではないが、ちょっと興奮した。3-1というスコアを予想した専門家はどれだけいるだろう?

「サッカーがチームプレーだということを証明したかった」という岡田監督や「決まるときはこんなもの」「もっと喜べるかと思ったけど喜べない。先があるので満足出来ない」という本田選手のことばは、この勝利が単なる偶然や幸運ではなかったこと裏付ける説得力があった。

サッカーはわかりやすい。この単純さが世界中の人々を熱狂させる。スポーツは音楽と同じようにことばの違いを越える。

日本の好調だけでなく、フランスやイタリヤという強豪が相次いでグループリーグを敗退していることも、今回のワールドカップをさらに面白くしている。

日本が次に対戦するパラグアイもユニークなチーム。凡戦にはならないと思う。

2010/06/24

ことばは違っていても・・・




地元の語学院の留学生との交流会をもった。出し物やプレゼントの準備に何かと時間が奪われたが、それに見合う盛り上がりはあったかな。

子どもたちはノリのいい留学生たちに圧倒されるかなと思っていたが、かなり友好的で、思っていたよりずっと上手にコミュニケーションをとっていた。

子どもたちと「おはボン」を歌ったが、こういうときにはピッタリくる。

2010/06/22

風草木ライブ

6月26日は風草木でのライブ。
風草木は実に不思議な空間。
私にとってもとても大切な場所である。
中南和に仕事があるときは、帰りによく立ち寄らせてもらった。
橿原市の特に風草木周辺には私の10代後半の想い出がいっぱいつまっている。
来月のアルコといい、田原本や八木周辺でのイベントは大阪や神戸や名古屋でのライブとは違って、何とも言えずセンチメンタルでノスタルジックなのである。




どうやら今回は、高校時代の同級生も来てくれるとのこと。

この写真は、前回のライブで風草木の店員さんが撮影してくれたもの。
ちなみに、風草木の店員さんは、みんな感じがよくてハイセンスなのだ。

http://www.geocities.jp/fuusouboku (風草木HP)

2010/06/21

今後のPruneは?

「PruneのCDはないんですか?」「HPはありますか?」などと聞いてくださる方もいて、土曜のライブは、まずまず好評だったようだ。

全く集客の努力をしなくていいのは助かる。「前回のお月見ライブが良かったのでまた来ました」というお客さんも何人もおられた。さらには、10月には大阪でもライブのオファーをいただいている。ありがたいことである。

確かに回を重ねるごとに、少しずつ良くなってきている。彼女たちのポテンシャルは高いので、まだまだこれから先が楽しみである。

何よりSue&Momoが、それぞれに手応えを感じてくれたことがよくわかるし、活動に意欲的であることがうれしい。とは言うものの、これからPruneをどうしようというビジョンはない。

ただゆるーく続けていければいい。そんなに無理しなくていい。誰かがしんどくなったらそこでおしまいでいい。

今回は、これだけケーナを使っているのに、結局フォルクローレを1曲もやらなかった。これもすごいことだなあと思う。

編成も妙なら、やってることも変わっている。クラシック調のものや、昭和歌謡風のものや、祭り囃子的なものなどなど・・・・さらに今回は、無伴奏のリコーダー3重奏もやってみた。

さて、今週末はSalt&Uribossaの風草木でのライブがある。「約束の場所へ」もSalt&Uribossaでやると、全く別の曲。でも、これは元々Sueちゃんの為に書いたもの。本家であるSueちゃんの歌には独特の味がある。これにMomoちゃんが絡むとまた面白い。

この「約束の場所へ」が今年の教会のメッセージの方向も決め、Salt&Uribossaのネクスト・アルバムのタイトルにもなろうとしているのだから不思議だ。

2010/06/20

音楽の贈り物

いろんな人を想って曲を書いてきた。昨日のライブでは、Momoちゃんのピアノに合わせて、SueちゃんがLife is beautifulを歌った。

どんなプレゼントでもあげてしまえば手元にはなくなる。しかし、音楽は捧げても消えない。音楽は分かち合うほどに豊かになり、生き物のように育っていく。そして、何度でも繰り返し、毎回新鮮に贈ることが出来る。

ライブ終了後、「今回の演奏の中で一番気にいったのは何?」とふたりに聴いてみた。

ふたりがそろって選んだのは、1曲目に演奏した「陽流(ひかる)」という曲だった。それは、私のクラスの子どもの名前である。

彼にはまだこの曲を聴かせる予定はない。いつか、彼にこの曲をプレゼント出来たらと想っている。それは「いつ」「どんな」かたちになるのだろう。

音楽は神さまがくださった最高の贈り物のひとつである。天から贈り物を贈る楽しみを贈ってくださった神さまに感謝したい。

2010/06/18

私の荷は重い

気がつけば1週間が過ぎていたというわけじゃないが、とにかくあんまりパソコンに向かう気がしなかった。その分、リアルな日常がてんこ盛り。

担任としての毎日は、実にいろんなことが起こり、何とも面白すぎる。子どもとの日々は、「生身の人間」としての瞬間的な反応を問われる。

大事なことは、何でもそう簡単にはいかない。

子どもの悩みひとつ解決するのも、恐ろしく面倒でやっかいで、私はほとんど「無力な支援者」でしかない。

ひとつひとつをあれこれと振り返りつつも、遊びと奉仕の準備を半分ずつ。

週末はPruneのライブ。日曜日はメッセージだ。まあ、夏休みまでこのペースは仕方がない。

私には荷が重すぎる。しかし、キリストの荷は軽い。ともなるくびきによって、キリストから学ぶことが出来、その結果、私の荷は軽くなる。この感覚が実に楽しいのである。時間がなくてもゆとりが生まれる。

メッセージの配信ブログを管理してくれているKoji君も、夫人の出産準備もあり、ご多忙の様子。そんな中、先週の「ひねくれ者のための聖書講座」の最新メッセージがupされているので、よろしければそちらも是非どうぞ。

20日(日)は、約束の地カナンのシリーズ第6回の予定。

2010/06/13

キリストの荷は軽い

昨日はリコーダー講座、今日はメッセージと、毎週、土日はウイークデー以上にハードだが、「その時その場で頑張ればいい」というのではないのが実は一番しんどいところ。土日の備えはウイークデーにしておかなければならず、これをうまく回すのがなかなか難しい。

特にこれから体育の授業でプールが始まると著しく体力を消耗することが予想される。担任としての実労働は、通勤も含むとほぼ12時間。睡眠、食事、入浴その他を合わせ約8時間と見積もっても、残りの(4時間×5日)で他のすべてをこなさざるを得ないのだ。

・・・とは言いつつも、実際にはまだまだ「無駄」や「ゆとり」はある。だから、今のところ、特に行き詰まりもイライラも感じることなく過ごせている。

長いのに短い時間もあれば、短いのに長い時間もある。あっという間に凄いことが出来るときもあれば、時間をかけてもさっぱりうまくいかないときもある。

「時間があるから出来る」とか、「時間がないから出来ない」ということは、実は何ひとつない。「やる気があるかどうか」それに尽きる。

誤解しないで欲しい。「私はたっぷりやる気があって、こんなにもがんばっているぞ」と言いたいのではない。私が伝えたいのは全く逆のことだ。

時間というのは相対的なもの、絶対者とともに負うくびきによって時間は自由に伸縮するのだ。

私にやる気があまりなくても、イエスにやる気があれば、委ねていれば必ずそれは出来るはずだ。私はそう考えて今まで生きてきた。

疲れている人、重荷を負っている人は、イエスのもとで休もう。キリストのくびきは負いやすく、その荷は軽いから。(マタイ11:28)

2010/06/11

満員御礼

19日のPruneのライブの打ち合わせの為に、ハーブクラブへ打ち合わせに行って来た。もう予約で満席。キャンセル待ちの方もおられると聞いてひと安心。ありがたいことだ。

住まいも離れていて、日頃バラバラに活動している3人なので、練習時間の確保が非情に難しいのだが、そんなことは言ってられない。ディナー付きとは言え、この不景気に4000円のチャージは高価である。自分たちのお楽しみや発表会ではない。プロ意識を持って、ちょっと頑張らないと・・・

毎回「次」が備えられて来たのは、一度も手を抜かなかったからなのだが、今回はSueちゃんの渡米もあり、あまりにも時間が無かったが、何とか集中力で補いたい。

明日リコーダー講座を終えてから、日本へ帰って来たばかりのSueちゃんを迎えて猛練習。アメリカ帰りだから、すーちゃんもアルフェベット表記でSueちゃんだ。ライブの翌日にはフランス語のテストがあると言っていたMomoちゃん。みんな忙しい。でも、単純に一番忙しいのは私かな。

暇なしを自慢するのも虚しいが、ビートルズのナンバーじゃないが1週間が8日あれば。